宮城県丸森町の杉山美香さん(21)=仮名=が東京電力福島第1原発事故に遭ったのは中学1年生でした。
丸森町は宮城県の最南端に位置します。いま、台風19号の記録的大雨で大きな浸水被害を受けています。
福島県境の伊達市や相馬市と接し、飯舘村まで車で10分の距離にあります。福島第1原発から約50キロ。丸森町によると比較的放射線量が高い時期もありました。しかし、復興庁が策定した子ども被災者支援法基本方針案で「支援対象地域」から外されています。
■体育の記憶なし
原発事故は、当時中学生の杉山さんの学校生活に変化をもたらしました。
学校から側溝など水辺に近寄らないように注意されました。屋外での体育の授業がなくなりました。プールの水泳の授業は希望者だけになりました。
母親が放射線量を心配したためにプールの授業は希望しませんでした。線量計が配られて、寝る時とお風呂に入る時以外は身につけていました。線量計を首からぶら下げて被ばく量を検査しました。
日常生活は一変しました。飲み水は、ペットボトルの水を買い飲用しました。通学は放射線被ばくを避けるために親が車で送り迎えしてくれました。
事故直後から体育の授業がなくなりました。中学3年生のときに校庭の表土の剥ぎとりが行われ、体育の授業を受けた記憶がありません。
ホールボディーカウンターで全身の放射線被ばくの検査をうけました。甲状腺のエコー検査は3回うけました。「研究材料になるような気持ち」になりました。
「マスクをしなさい」「線量計を付けなさい」。繰り返し言われました。「思春期のときで『何でつけるの』と反抗しました」
大学受験の時に福島の大学を受験する考えでいました。しかし、「福島で大学生活を送ることが不安」になり、宮城県の大学に進学しました。
■本人尋問で陳述
両親と弟の4人とともに「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(「生業訴訟」、中島孝原告団長)の原告に加わりました。市民に原告に加わることを呼びかけたチラシを見て原告になったのです。
「(事故後の)8年半は子どもながらにも感じることがあって鍛えられたと思います。この原発事故がなかったら、ここまでしっかりしてはいなかったと思います」
杉山さんは、このほど開かれた仙台高裁での生業訴訟の控訴審の本人尋問で陳述しました。
「東電や国は、丸森町に住む多くの人に大変な被害を及ぼしたことをきちんと自覚してもらいたいと思います」と。
「東電の旧経営陣が刑事裁判で無罪となりましたが、責任を持つことが当たり前の社会になってほしいです。誰も責任をとらないならば、事故はまた起きてしまいます」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2019年10月25日より転載)