事故発生から8年。使用済み核燃料プールに貯蔵している燃料の取り出し開始にこれほどの長期間を要したことは、原発事故の深刻さと廃炉の困難さを象徴しています。
1、2号機のプール内にも核燃料が残っているほか、1~3号機の原子炉底部やその直下には溶け落ちた燃料デブリが大量に存在しており、その実態さえつかめていません。
3号機は2011年3月14日に水素爆発を起こし、原子炉建屋が大きく損壊。建屋の最上階にあるプールやその周辺に大量のがれきが散乱し、高い放射線量のため人が近づくのは困難で、作業が遅れました。プール内への機器落下などのトラブルも相次ぎ、当初は14年末としていた取り出し開始時期は4年以上も遅れました。
昨年3月に燃料取り出し設備の試験運転を開始して以降も、クレーンの制御系の異常やケーブル腐食などトラブルが続いています。
事故発生時は定期検査中で炉心溶融が起こらなかった4号機は、14年末にプール内の核燃料1535体の取り出しを完了しました。4号機は現場での作業が可能でしたが、3号機ではモニターの画像を見ながらクレーンなどの装置を遠隔操作しなければなりません。
1号機も水素爆発で原子炉建屋の屋根が落下するなど大破し、がれき撤去作業が難航。水素爆発を免れた2号機も、高い放射線量が作業を阻みます。国と東電は、1、2号機プールの核燃料(392体、615体)の取り出しを23年度に開始する計画ですが、先行きは不透明です。
(「原発」取材班)
(「しんぶん赤旗」2019年4月16日より転載)