3月末で東京電力福島第1原発事故に伴い避難指示区域外から避難している住民(“自主避難者”)にわずかに残されていた、国家公務員宿舎への入居と民間住宅への家賃補助が打ち切られます。
これらは福島県が2017年3月末で住宅無償提供を打ち切った際に激変緩和として行ってきたもの。一定の所得以下の世帯を対象に公務員宿舎へ一般より安い家賃で入居できる措置(約110世帯)と、民間住宅に避難した住民の家賃を1年目は最大3万円、2年目は最大2万円を補助する措置(約1800世帯)です。
家賃補助続けて
避難指示区域外の福島市から計4回引っ越し、今は横浜市で息子と避難を続ける50代の矢浦正子さん(仮名)の場合は―。
11年3月11日の当時、小学5年生だった息子への放射能被害を恐れ、同月下旬にとりあえず都内の親戚の家に避難しました。親戚の子どもと息子の関係などから、翌4月に川崎市内のワンルームのアパートに引っ越して4年間生活。思春期の息子との1部屋の暮らしは難しく、高校入学前に同じ川崎市の3部屋のアパートに移動します。17年に住宅の無償提供が打ち切られると、大家から退去を求められ、横浜市に移動しました。
避難生活資金のために先祖から引き継いだ少しの土地、自動車も売りました。矢浦さんのようなケースは、東電の賠償は12年に1回払いで約70万円が支払われただけです。矢浦さんの生活資金は底をついてきました。
避難したことでの息子へのいじめ、学校の無理解、引っ越し続きで続かない近所づきあい―。矢浦さんは「お金の不安と孤立感で、おかしくなりそうな時があります。家賃補助を続けてほしい。住める場所を確保してほしい」と話しています。
避難者を“消去”
県は公務員住宅入居措置と家賃補助措置を行うことで、その対象約1900世帯の動向を把握してきましたが、両措置の打ち切りでその後の動向は分からなくなります。矢浦さんのような困難を抱えた避難者の姿が見えにくくされます。
自分も“自主避難者”で、「ひなん生活をまもる会」の鴨下祐也代表は「国は被害者を住宅から追い出し、移住者扱いして福島県や避難先自治体の“支援”に押し込んだ。その“支援”もなくなり、避難者消去が行われようとしている」と憤ります。
原発事故を起こした東電と、原発を推進してきた国の責任は明白です。鴨下さんは「避難指示区域内の避難者にも、区域外の避難者にも、被害に見合った賠償と住まいの確保を行うべきです。それは支援と呼ぶべきものではなく、加害者としての東電と国の責任において行われるべきものです」と話しました。
(おわり)
(この連載は、小梶花恵、柴田善太が担当しました)
(「しんぶん赤旗」2019年3月14日より転載)