「苦しみ、悩みながらの8年。でも前へ進みたい」「あの日から時間がたってないように感じる」―。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から8年となった11日、各地で犠牲者を追悼するとともに、明日への思いを語る人たちの姿が見られました。
■福島 もらった勇気を糧に
原発事故で苦しむ福島県では―。
県主催の式典で、五十嵐ひで子さん(71)が「あのときの絶望、不安、悲しみが心の中でずっしりと残っています」と、津波で夫と叔父を亡くした体験を話し、「語り部」活動していることに触れ、「全国からもらった勇気と励ましを糧にしてこれからも前を見て一歩ずつ進んでいきます」と述べました。
福島駅東口ではキャンドルナイトが行われました。キャンドルには「生きている私たち。人のために尽くし平和を祈ります」「助かった命を大切に」などと書かれていました。
大震災後の8月に生まれた7歳の孫娘と来た82歳の女性は「福島市に住んでいますが、放射能が心配。孫の健康を願っています」といいます。
大阪出身の大学3年生の女性は「インターンシップとして二本松の温泉で1カ月働いています。原発事故が起きたとき福島で働いてみようと思いました。原発はゼロにして、再生可能なエネルギーに変えるべきです」と話していました。
(菅野尚夫)
■仙台 生活再建へ声上げる
仙台市太白区の「あすと長町災害公営住宅」に住む安藤譲さん(82)、則子さん(78)夫婦は毎年3月11日午後2時46分に、どこにいても黙とうします。
震災当時、宮城県石巻市鮎川で暮らしていました。親戚や友人をたくさん失いました。
避難所で暮らし、次男が迎えに来て仙台に移り、みなし仮設住宅を経て災害公営住宅へ。今は自治会の副会長を務めています。
宮城県内では災害公営住宅の孤独死が2019年2月までの累計で120人。
「あすと」には県内各地から被災者が集まっています。譲さんは、「コミュニティーづくりで、月2回の掃除とあいさつ運動から始めました」と苦労を語ります。
13階建てで150世帯が入居し、1人暮らしが62人。月1回の食事会や健康教室、カラオケ会は月2回開催し、「なんとか参加してもらおうと努力している」と言います。
災害公営住宅が高層マンションに囲まれ、日照問題も浮上。「黙っていてはダメです。声を出して少しでも暮らしやすくしたい」と静かに語りました。
(宮城県・佐藤信之)
(「しんぶん赤旗」2019年3月12日より転載)