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放射線防護基準って!? 原発推進側参加の部会で検討・・健康リスク 複合的影響 考慮を

シンポジウムに登壇した(左から)本行さん、高橋さん、井戸さん。=2月3日、京都市

 東京電力福島第1原発事故が発生した2011年3月11日に政府が出した原子力緊急事態宣言は、今も解除されていません。“除染”によって空間線量が年間20ミリシーベルトを下回ったとして避難指示が解除され、帰還政策がとられています。被ばく基準とは何か―。公開シンポジウムを紹介します。(都光子)

公開シンポ京都で開催

 「放射線防護基準と放射線生物学―その歴史と現状~放射能汚染地域で暮らすリスクと避難の権利を考える~」と題した公開シンポジウムが3日、京都市内で開かれました。

 日本学術振興会科学研究費の助成を受けた「放射線影響研究と防護基準策定に関する科学史的研究」班と、放射線被ばくの科学史研究会、日本科学史学会生物学史分科会の共催です。

子どもに被害大

 最初に登壇した大阪大学大学院医学系教授の本行忠志さんは「放射線に非常に弱い人がいる」として、胎児や小児は骨髄を含め、全身の細胞分裂が盛んなこと、内部被ばくだと相対的な被ばく範囲が広くなること、疫学的にも若い時の被ばくほどがんが発生しやすくなることなどから放射線の影響を受けやすいことを説明しました。また、放射線に弱い遺伝子を持っている人が少なからず存在することなどを紹介。

 放射線は他の影響もプラスされる複合的影響も考慮する必要があることを強調。動物実験では胎児期に被ばくし、生後有害物質にさらされるとがんが発生しやすくなったことや、バックグラウンドの線量が高いとその放射線も複合的影響として上乗せされることなどをあげました。

 最後に「福島と同じような原発事故が起こった場合、現状では低線量被ばくが『危険』扱いになっていないため、甲状腺の測定は行われずに、安定ヨウ素剤は行き渡らず、子どもの避難があいまいになる可能性がある」と指摘し、「最も犠牲になるのは子どもたちだ」と強調しました。

年間1ミリシーベルトまで

 名古屋大学大学院法学研究科研究員の高橋博子さんは「原子力開発と結びついた放射線防護基準の歴史と現在」と題して報告しました。

 年間20ミリシーベルトという基準は、国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告が提唱する参考レベルの値をもとに決められました。

 原発事故当時、基準を検討していた文部科学省放射線審議会基本部会のメンバーには、東京電力福島第1原発の副所長や東京電力関係者がいたことを指摘。「原発推進側の影響下に基準が検討されている」と高橋さんはいいます。

 ICRPは、1950年に米国放射線防護委員会(NCRP)議長が中心となって組織されました。「46年に発足したNCRPは、広島・長崎の原爆を開発したマンハッタン計画に従事した科学者たちが中心メンバー。つまり、世界の放射線被ばく研究自体が核開発を担う研究者たちによって推進されてきた」と明言します。

 それでも90年勧告では、一般公衆レベルは年間1ミリシーベルトまで下がりました。

 2007年勧告では新たに、事故が発生した際「緊急事態期」「復旧期」「平常時」と時期を分けて管理する値を示しました。「緊急時」、住民に対しては「20ミリ~100ミリシーベルト/年」を目安に避難措置や活動の制限を求め、「復旧期」では「1~20ミリシーベルト/年」を設定しています。「チェルノブイリ原発事故を受けて出てきた数字なのではないか」と高橋さんはいいます。

被害を過小評価

 広島、長崎、そしてビキニ環礁での核実験後の被ばく調査の実態にふれ、「つねに核開発をになう研究者たちによって、核被災者は“データ”として扱われ、被害の実態は隠蔽(いんぺい)され、被害自体を過小評価してきた。それは現在も受け継がれている」と指摘しました。

 シンポでは東日本大震災避難者の会代表で原発賠償関西訴訟原告団代表の森松明希子さんが報告。無用な被ばくを避ける権利―「被ばくからの自由」はだれからも否定されないことや、国連でスピーチした体験を語りました。

 また、子ども脱被ばく裁判弁護団長の弁護士、井戸謙一さんが各地の裁判状況を報告。「原発事故が起こっても大した被害は生じないといった過小評価が広がりつつあり、厳しいたたかいになっている」と話しました。

(「しんぶん赤旗」2019年2月20日より転載)