東京電力福島第1原発事故をめぐって、業務上過失致死傷害罪で強制起訴された東電の旧経営陣3人の公判は12月26、27の両日、東京地裁(永渕健一裁判長)で指定弁護士の論告求刑が行われます。1月から8カ月間に及ぶ証人尋問では社員や学者ら計21人が証言。10月に被告人質問、11月に被害者遺族の意見陳述が行われました。公判を振り返ります。(「原発」取材班)
公判の焦点は、東電の子会社「東電設計」が2008年3月にまとめた、福島第1原発に最大15・7メートルの高さの津波が襲来するとの計算結果の取り扱いです。この計算結果は、国の地震調査研究推進本部が02年7月に公表した「長期評価」(福島県沖を含む日本海溝寄りのどこでもマグニチュード8級の津波地震が30年以内に20%の確率で発生と予測)をもとにしたものです。
「評価」の認識
「唐突感があった」。元副社長で、08年当時に原子力・立地本部副本部長だった武藤栄被告は、同年6月の打ち合わせで、社内の土木グループで津波対策の責任者から「15・7メートル」の説明を初めて受けた時の心境をこう証言しました。「長期評価」について説明した責任者が「信頼性がない」といったから、そう思ったと繰り返し述べました。
一方、当時、原子力・立地本部長で武藤被告の上司の武黒一郎被告(元副社長)は、「長期評価」や「15・7メートル」を知ったのは09年4~5月で、原子力設備管理部長だった吉田昌郎元第1原発所長(故人)から説明を受けたと証言。吉田部長が「あてにならない」と言っていたとして、「(そんな高さの津波が)そのまま襲来するのは考えにくい」と述べました。
02年から東電社長、08年から会長だった勝俣恒久被告は、「長期評価」や「15・7メートル」の計算について、事故前は「知りませんでした」と述べました。
しかし、被告らの証言は、社内で津波評価や対策を担当した社員の認識とは大きく違います。
複数の社員は「長期評価」について「地震本部は権威ある機関」「否定する根拠がない」などの理由を挙げ、その見解を採用すべきだと判断していたと証言。
土木グループの責任者で元社員も、「長期評価」の見解を取り入れなければ、当時改訂された国の耐震指針に伴う評価で合格しないと「首尾一貫して考えていた」と証言。08年6月の打ち合わせで武藤被告に説明した際も「『長期評価』を取り入れるべきだと強調した」と述べました。
担当の社員らが津波対策を前提に検討していたのに、元副社長の武藤栄被告は08年7月末の打ち合わせで、「研究しよう」などと「長期評価」の見解の評価などを土木学会に依頼し、ただちに対策を進めることはしない方針を指示しました。津波対策を前提に考えていた社員は、武藤被告の指示に「力が抜けた」と証言。「先送りとの批判があるが」と問われた武藤被告は「対策の先送りというのは全くない」と否定しました。
一方、その後も土木グループの社員は、福島第1原発での説明会で「津波対策は不可避」とする資料を作成しています。
覚えていない
証拠採用された元東電幹部の供述調書では、当時の社長だった勝俣被告らが出席した08年2月の「中越沖地震対応打ち合わせ」(通称「御前会議」)で、従来の想定を超える津波になることや津波対策が必要だとする方針が報告され了承され、同年3月に「常務会」で津波対策が決定されたとしています。元幹部はその調書で、武藤被告の指示は「これまでの方針とは異なる」と指摘しています。
津波対策が社の方針だったとする元幹部の供述調書に対し、勝俣被告は「勘違いじゃないか」と全面否定。武藤被告も「方針が決まっていたことはない」と述べ、武黒被告も「了承されたといえるものがない」と証言。会議に提出された、従来の想定を超える津波評価などの資料も「覚えていない」と繰り返しました。
当時、社長と会長を務めた勝俣被告は、検察官役の指定弁護士から「原発の安全対策が万全かの情報を収集する義務があるのでは」と最高責任者としての責任を問われ、「原子力・立地本部がしっかりやっている」「社長は万能ではない」などと述べ、原発の安全対策の責任は自分にはないと断言しました。原子力・立地本部の本部長だった武黒被告は「副社長になって対外業務が多く、会社にいたのは半分くらい」「(副本部長の武藤被告に)協力してもらった」と述べ、武藤被告は「決定権限がない副本部長」などと発言しました。
慢心があった
起訴状では、事故を起こした第1原発から約4・5キロの距離にあった双葉病院(福島県大熊町)や介護老人保健施設ドーヴィル双葉から避難を余儀なくされ治療・看護を受けられなかった患者、入所者44人が死亡したとされます。
同病院の医師や元看護副部長、介護職員が証言。元看護副部長は、寝たきりの患者を車両で搬送せざるをえなかった状況や車両内や避難先で患者の死亡を確認した時の様子を明らかにし、「病院には使える医療器具や薬品はあった」と述べ、事故がなければ患者を助けることができたと証言しました。
被害者遺族の意見陳述では、ドーヴィルに入所していた両親を亡くした娘は、長時間の避難は過酷な移動だったとして「どんな思いで死んでいったのか、心が押しつぶされそうです」と述べました。納骨できたのは約5年後。大津波が襲来する報告を受けながら、旧経営陣が対策を見送ったことについて「しっかり対策を取っていれば、事故を防げたかもしれないと思うと許せない」と訴えました。
同病院に入院していた兄を失った遺族は、「旧経営陣は、切迫感や緊張感があって対応していたら、もっと別の方に向かっていたのではないか」と指摘し、「慢心があったとしか言いようがない」と述べました。
東電裁判年表
2002年7月 地震調査研究推進本部が「長期評価」公表
06年9月 国が耐震設計審査指針を改訂。「津波の影響」評価が加わる
08年2月 3被告が出席した「御前会議」で、津波高が想定を上回ると説明される
3月 東電設計、第1原発に敷地を超える最大15.7メートルの津波来襲の計算まとめる
6月 担当者と武藤被告の会議で、15.7メートルの津波高が報告される。
7月 担当者と武藤被告との再度の会議で、津波対策を進めず、15.7メートルの評価の検討を土木学会にゆだねる
(「しんぶん赤旗」2018年12月24日より転載)