「元の生活をかえせ・原発事故被害いわき訴訟」原告の長谷部郁子さん(80)は、11月21日、福島地裁いわき支部で行われた第2回口頭弁論でこう訴えました。
広島と福島と2度の被ばくに「原爆とも原発とも私はともには暮らせない」と泣いていた、いわき市在住の広島の被ばく2世の女性のことを紹介し、「生きているうちに、以前のように豊かな地域になったいわき市を見たい」。紹介した女性は福島の明日に希望をなくし、自ら命を絶ったといいます。
東京都世田谷区出身の長谷部さんは大学で心理学を学びました。調査官として、いわき市にある家庭裁判所に赴任。以後、38年間、福島家庭裁判所の調査官を務めました。
■苦しい体験越えて
家裁調査官は、非行を犯した少年などの家庭や学校の環境、生い立ちなどを調査し、裁判官が適切な指導や処遇を考えるうえで参考になる報告書を作成します。この仕事を志したのは、戦前の小学5年生のときの苦い体験があったからでした。
転校生がいて教師から「あの子には近づかないように」と言われていました。「不良だ」と思いました。そのことを人に話したことから、転校生から強い抗議を受けました。教師から言われたからとはいえ、思慮なく同級生にレッテルを貼って傷つけたことが深い後悔となりました。
「憲法13条(個人の尊重)の精神で生きてきた」という長谷部さん。人の行動と心の動きを科学的に研究する心理学を探求。それを生かして家裁調査官の仕事を生涯の仕事としたのです。
赴任したころのいわき市は「炭鉱と漁業の街」で暴力による支配が横行。子どもたちもすさんでいました。「少年のこころに寄り添い、言い分を良く聞く」ことに努めました。
東京電力福島第1原発が運転を開始したころの出来事です。原発関連の仕事をしていた少年が覚せい剤をやくざから売りつけられていました。少年は、追突事故を起こして長谷部さんが担当しました。
「危険な仕事なんじゃないの」と聞くと、「もともとシンナーや覚せい剤で痛めつけているので、放射能を浴びても、それで死んだのかは分からない」と話していました。「若者を働かせるなど論外。職業安定法違反。違法がまかり通っていた。若い人の命さえも、闇から闇に覆い隠され、違法が堂々と行われていることに原発という産業に疑問を感じました」
■表裏のたたかい
「3・11」の原発事故は、生命を脅かし、自由を奪い、幸せに暮らす権利をずたずたに壊しました。「子や孫たちに原発事故以前のいわき市の四季折々の豊かな自然と暮らしを取り戻し、それを手渡してから死にたい」と、訴訟に加わりました。
生きづらさに追いうちをかけた秘密保護法の強行成立。「戦前の大本営発表だけを押し付けた社会に逆戻り」を感じています。
「原発事故の真実を知ろうとすると罰せられる。自分の命が危うくされている。原発ゼロと秘密保護法廃止の活動を表裏のたたかいとして頑張ります」。
(菅野尚夫)