星空だけが変わらず
いわき避難者訴訟第2陣原告の菅野勝久さん(68)は、福島県川俣町山木屋の秋葉森山に生まれました。
山木屋は3年に1回は冷害による凶作に見舞われる冷害常襲地でした。
6~8月ごろに吹く冷たく湿った風「やませ」に悩まされた山木屋は、冷害に強いコメの品種改良などによって農業地帯へと変身しました。
勝久さんの祖父が手作業で農地を開墾。父親の代になり、ブルドーザーを使い、約10倍に拡大しました。
夢打ち砕かれて
勝久さんの代で、葉タバコと稲作から、小菊と稲作に切り替えました。
寒暖差の大きい山木屋は、鮮やかな色が出るトルコキキョウや小菊などの花卉(かき)の栽培に適していました。勝久さんは丹精込めて植え付け作業を行ってきました。
そこに無情にも東京電力福島第1原発事故が起きました。山木屋に「避難指示」が出され、農業で暮らしていく夢は打ち砕かれました。自然災害の「やませ」ではなく、人災の原発事故の放射能災害が夢を奪ったのです。
昨年3月に山木屋地区の避難指示は解除されたものの今年6月1日現在の居住者数は318人、140世帯。住民登録者数の3分の1程度です。
山木屋の自然の中で暮らしてきた母親の久子さんは避難生活に耐えられず、山木屋に戻ることを切望しました。
妻の千恵子さんは2013年に卵巣がんの手術をしました。
「妻の体調を考えると、山木屋では病気に対する迅速な対応ができるか不安です。医療機関の近い場所に住むことが必要なのです」
勝久さんの母親は山木屋に戻りました。勝久さんと妻は今も避難を続けています。
賠償払い続けて
山木屋の自宅敷地には樹齢500年と言い伝えられている桜の木があります。周辺には他にも何本かの桜の木があり、桜の公園にする構想を持っていました。
「見ごたえのある景観でした。集落のみなさんと花見をするなど地区の行事で使えるようにしたかった。区長を務めてきた私の思いでした」
しかし、避難生活をしている間に予定の敷地は荒れ果ててしまいました。
五穀豊穣(ほうじょう)、防災、雨乞いなどの祈願や感謝のために行われる「三匹獅子舞」、田植えの苦労をねぎらう「さなぶり祭り」など、先祖代々引き継がれてきた伝統行事が後世に継承できなくなる危機にさらされています。
勝久さんは「星空だけが昔と変わらずに輝いている。地上も美しい自然を回復してほしい。原状回復するまで東電は損害賠償を支払い続けるべきだ」と主張しています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2018年9月16日より転載)