福島市在住 佐藤正子さん(77)
ヤブツバキ 原発ゼロヘ
起つ構え
除染逃れ すみれ一輪
咲きにけり
ふじりんご 太き根にある
父の史
福島市に住む佐藤正子さん(77)の俳句です。佐藤さんは新俳句人連盟福島支部の役員です。
■「詠み記録する」
新俳他人連盟は、戦時下に弾圧を受けた新興俳句運動に関わった俳人が中心となり、1946年5月に設立されました。地方支部は35を数えます。
福島支部は3月、「『二〇一一・東日本大震災 原発事故』を詠む」を発行しました。
天高く 道理の国へ 原発
裁判の朝
原発なくせ 生業訴訟の
声高し
冊子には「福島に生きる者として詠み、記録し続け」ることを誓い二百数十他が載っています。
49年に起きた謀略・弾圧事件である松川事件の代表的な生き証人であった鈴木信さん(故
人)の次の他も載っています。
炭鉱の街 原発の街揺れる街
炭鉱と 原発かかえ 馬酔
木ゆれ
佐藤さんは「3・11とのとき、福島市役所で交通共済について相談中でした。「死ぬのではないか」と激しい揺れに驚きました。市役所の扉は閉まり、出られません。
震災で元気をなくしていた時に励ましてくれたのが全国の俳旬仲間でした。「福島頑張れ」と俳句を送ってくれました。
佐藤さんは2人の孫と、3月15日から4月後半まで福島県喜多方市の句友のところに避難しました。
当時の福島市内の空間放射諭量は高く、「あの程度の避難で本当に良かったのか。将来に悔いを残すことにならないか。心がまだ休まらない」と佐藤さんはいいます。
■一日一句目標に
佐藤さんが俳句を詠むようになったのは2001年に生協を定年退職してからです。
「物事をちゃんと見る」「一日一句」を目標にしています。
「ひとくちに8年目と言っても次々に起こりくる事柄に、心も身体も休まることのなかった歳月でした。息つく間もなかった」と振り返る佐藤さん。「地域にできた避難所、仮設住宅への激励、お見舞い、お茶会、地域の放射線量測定など、休みのない日々が続いた」といいます。
「原発再稼働の動きは許すことができません。福島のみならず、地球上の生物に私たちのような苦しみを経験してほしくない」
どの句も被災地の切実な生の声として読むものの心に深く迫りくるものがあります。
死にだぐね 仮設の老女
すき間雲
原発いじめ 生きる生きる
と きめたぼく
(ともに、山口つよしさんの旬)
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2018年6月29日より転載)