福島県伊達郡桑折(こおり)町の「桑折壮年ソフトクラブ」の監督をする氏家正良さん(65)は、高校生時代、福島県立保原高校の野球部で活躍。1965年夏の甲子園に出場した経験を持ちます。
■子らが健康被害
「こどもたちが健康で安心して住める環境を作りたい」と、「生業を返せ、地域を返せ」福島原発訴訟に加わりました。原告団福島支部・桑折町世話人を務めています。
東京電力福島第1原発事故でこれまで使用してきた町営グラウンドが放射能で汚され使用できなくなったこともありました。「運動不足で福島の子どもたちは肥満気味の統計結果さえでています」と、スポーツマンだったこともあって、原発事故が子どもたちに及ぼした健康被害には心を痛めています。
日本通運(日通)を定年退職した氏家さん。退職後は、福島県北農民連の搬送業務のドライバーの仕事をしていました。
「桑折町の特産品のあんぽ柿、モモの『あかつき』、リンゴの『王林』など果樹は大打撃をうけました。農家の人たちのやり場のない怒り。悩みの深さ。土地を放射能で汚されたことによる落胆は痛いように分かります」と言います。
原発事故が起きたとき、氏家さんは家を新築しようとしていました。まだ、基礎工事中でした。放射線量を測ると毎時5マイクロシーベルト。「ローンは残るし、新築マイホームは放射能で汚されてしまったのです。ショックだった」と言う氏家さん。ストレスから高血圧症を発症し、降圧剤を飲む事態になりました。
■在職中から反対
日通で働いていたころから福島に原発を建設することに反対してきた氏家さん。「原発立地地域の沿岸部の浜通りを配送するときには、避難するシミュレーションを策定しておくべきだ」と、職場仲間と話し合っていました。「もっと強く発信すればよかった」と、浜通りだけでなく中通り地域まで県全体が放射能の脅威にさらされたことに「侮しさがわく」といいます。
桑折町の人口約1万3000人の「1割にあたる120人を超える原告を集めたい」と抱負を語る氏家さん。第3回口頭弁論で福島地裁は、原発事故前に行った津波などのシミュレーション結果などの全ての資料の提出を東電などに求めました。しかし、東電は資料提出を拒否する極めて異例の裁判対応をしました。氏家さんは「秘密保護法の先取りとも思える」と指摘します。
「二度と原発事故は起こしてはならない。切に願っています。廃炉は当然ですが、安倍首相は見通しもなく遮二無二(しゃにむに)原発推進、再稼働を急ぎます。許せない。年明け(2014年)の1月14日の第4回口頭弁論はヤマ場です。みんなで傍聴し原告者の拡大に力を尽くします」
(菅野尚夫)