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原発事故の集団訴訟 各地で判決・・国の責任認める流れ明確/賠償では積極面と消極面

 

大阪市立大学大学院教授 除本 理史さん

よけもと・まさふみ 1971年生まれ。大阪市立大学大学院教授。環境政策論、環境経済学専攻。著書に『原発賠償を問う』『公害から福島を考える』『放射能汚染はなぜくりかえされるのか』など。

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、損害賠償を求めた集団訴訟は全国で約30あり、原告の住民は1万2000人以上います。昨年3月の前橋地裁で最初の判決が出てから約1年間に7件の判決が出されました。司法は国と東電の責任をどう判断し、損害をどう認定したのか。判決の特徴について原発賠償問題に詳しい大阪市立大学大学院教授の除本理史(よけもと・まさふみ)さんに聞きました。(三木利博)

 

  ―福島原発事故をめぐり住民は国や乗電の責任を追及しました。裁判では、津波の到来を予見できたか、事故を防げたかなどが争点になりました。

 7件の判決のうち、東京地裁(今年2月)での福島県南相馬市小高区住民の訴訟と福島地裁いわき支部(同3月)の避難者訴訟の二つは国を相手取っていません。国の責任を争った5件の裁判で、千葉地裁は認めず、他の4地裁すべてがこれを認める判決を出しました。いずれも事故につながる津波は予見できたし事故は防ぐことができた、という判断を下しました。

 予見可能性の判断にかかわる、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に公表した「長期評価」について、生業(なりわい)訴訟の福島地裁(昨年10月)は「規制権限の行使を義務付ける程度に客観的かつ合理的根拠を有する知見」と認めました。今年3月の京都地裁も、「長期評価」について、専門家の間で異論があり信頼度が低いとした国の主張に対し、「疑問点があればその払しょくも含めて積極的に検討し、原発の安全性の向上を図るべきだ」とする判断を下しています。国の責任を認める流れが明確になってきているというのが特徴です。

 

 ―事故に至る国の責任を認める流れが出ていることの意味は?

集団訴訟の各地の判決

 今まで国がやってきた原子力安全行政のあり方に問題があったと端的に指摘されたわけで、そのあり方を考えていく上で非常に重要な知見になるのではないでしょうか。また、これまでの公害や薬害訴訟の一連の流れをみても、国家賠償責任が認められることで、被害救済の制度形成が進むことがあります。こうした政策の転換や見直しに向けて、一連の訴訟で検証されている国の責任についての議論をきちんと踏まえていく必要があります。

 一方、東電の責任については、住民側は民法上の一般不法行為責任で過失の認定をさせることをめざしていたわけです。しかし、すべての判決で、その適用はないとし、「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)にもとづく責任を負うとする判断が定着しています。原子力事業者の無過失責任を定めた「原賠法」は、被害者救済のための制度で、故意・過失の立証を不要とする仕組みです。しかしそれが逆に、責任検証の壁になっています。また、前橋地裁では慰謝料の増額理由として、対策を怠った東電を「特に非難に値する」と認めていますが、以降の判決は東電の故意や重過失を認めない判決になっています。

 

 ―賠償額など損害の認定についてはどうですか?

「国を四度断罪」などの垂れ幕を掲げる原告弁護団ら=2018乍3月16日、東京地裁前

 積極面と消極面の両面をみる必要があります。東電が支払うべき賠償範囲などを定めた国の「中間指針」では償えない損害があるんだと、司法が独自に判断して認めるという流れが確固として定着していることは、積極的に評価すべきです。最初の前橋地裁で、国の避難指示区域外の「自主避難」の相当性を司法が独自に判断して認めたのはインパクトがありました。避難元の地域社会やコミュニティーが崩壊したことなどによる「ふるさとの喪失」は、現在の慰謝料の対象外の被害ですが、千葉地裁や今年2月の東京地裁、福島地裁いわき支部でも認定されました。

 大きな問題は、認定された賠償額が「中間指針」の枠内を大きく超えず、全体として低額にとどまっていることです。請求額に対して数%から1割程度しか認められていません。避難区域外の慰謝料はとくに低額です。当事者が実感している被害と大きく隔たっています。「ふるさとの喪失」被害についても、自宅を離れてつらい思いをしているというだけでなく、その人が避難元の地域社会で積み上げてきた、さまざまな地域生活利益があったわけで、それが原発事故で失われてしまったという深刻な被害が、司法判断として正面から評価されているとはいえません。

 

 ―賠償のあり方を考える上で必要なことは?

 被害の実態をきちんと直視していくことです。国の紛争審査会で当事者参加のほとんどないまま賠償の指針が決められ、それを受けた東電が賠償基準を作り和解していく、加害者主導の枠組みがつくられてきました。ここから、被害実態とのずれが始まっています。一連の訴訟はそれを改めることを提起していますが、もっと被害の実態を司法に直視をしてもらう必要があります。被害者の運動というだけでなく、私たち研究者としても被害実態をきちんと伝えていくことが課題です。

 

  ―後も裁判は続きます。

 歴史を振り返れば、四日市公害訴訟の原告は9人でしたが、加害企業の法的責任が明らかになり、公害健康被害補償法がつくられ、10万人以上の大気汚染被害者の救済を実現しました。集団訴訟の取り組みは原告本人の救済だけの問題でなく、政策形成のための取り組みという側面を強く持っています。しかも、原発被災地の長期的復興など、お金の賠償だけで解決しないこともあるわけです。原発事故の被害は非常に深刻で、原告は被害者のごく一部です。しかし、その人たちの取り組みが事故の加害責任を明らかにしていくことで、救済の制度や政策の改革に結びついていけばと考えます。

(「しんぶん赤旗」2018年4月2日より転載)