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“福島に生きる”生業訴訟第2陣原告 鹿谷 昇さん(77)令子さん(68)夫妻・・故郷に戻りたたかう

原発ゼロを訴える鹿谷さん夫婦

 鹿谷(しかたに)昇さん(77)、令子さん(68)夫妻は福島県の自然が大好きです。

 二人は、福島市の吾妻連峰の一つ、一切経山(いっさいきょうざん)の頂上直下にある火口湖、「魔女の瞳」のブルーのきれいさに魅せられました。福島の磐梯吾妻スカイラインにある浄土平から、90分程度で一切経山へ登ることができます。山頂からは五色沼というブルーのカルデラ湖を見下ろすことができ、絶景なのです。

■地域の人と結成

 福島市の春は、百花繚乱(りょうらん)。ウメ、トウカイザクラ、ヒガンザクラ、ソメイヨシノ、レンギョウ、ボケ、ハナモモなど約70種類もの花々が一斉に咲き競います。

 福島市内に生まれた令子さん。吾妻連峰と花々のコントラストが映える、花見山公園に心奪われます。キラキラと光る阿武隈川の流れも忘れられません。

 令子さんは、高校を卒業後に首都圏で過ごし、昇さんと結婚。33年間小学校の教員を務めて、2007年に夫と故郷・福島市にもどりました。

 「3・11」は、福島県庁近くの史跡を見学中でした。ただ事でない揺れに驚き、伏せました。自宅に戻るのに普段ならば十数分で戻れるのが1時間以上かかりました。

 東京都町田市に住む長男から「すぐに避難した方がいいよ」と電話があり、ガソリンを確保して3月16日に避難しました。

 避難した町田市では、福島の状況に心を寄せ、原発をゼロにと願う地域の人たちと「福島の人々とともに署名をすすめる町田の会」を立ち上げて、同時に「さよなら原発町田の会」と一緒に運動をすすめてきました。毎週金曜日の首相官邸前行動にも参加。学習会や集会に出かける中で、福島県沿岸部に原発を建設することに当初から反対の声を上げていた人たちがいたことも知りました。

■「勝利勝ち取る」

 町田市での避難生活に区切りをつけて「福島から発信しよう」と実家のある福島に帰ることにしました。

 「放射能に汚染されているのに、そこになぜ帰るの」ともいわれました。

 父と母のお墓参りに行って目をむけると、除染土のフレコンバッグの袋が並んでいて、それは訪れる都度に広がっています。静かで市内を見渡せるこの地で安らかにと願って建てたお墓です。

 墓碑に刻んだ「地には花・心には太陽を」という願いを踏みにじられているような……。福島の自然を愛して暮らした父と母の声が聞こえるようです。

 東京の町田市にいる孫は7歳と3歳になります。「福島においでよ」と言えません。子どもたちのためにも福島を風化させてはならないのです。支援者ではなく福島からの発信者になろう」と、3月9日、夫婦で生業訴訟第2陣第2次原告の提訴に加わりました。

 二人は言います。「再稼働が強行されて、廃棄物はたまる一方です。なんとしても原発ゼロを実現をしないと。私たちは生業訴訟の第2陣原告です。先陣は、国と東電の責任を認めさせ賠償の支払いを認めさせました。私たちはそれを超える判決を勝ち取る責任がある」と、夫妻は覚悟しています。

 「国と東電には早く謝らせたい。福島を二度とつくらせてはいけません」   (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2018年4月2日より転載)