東京電力福島第1原発事故による政府の避難指示が解除された3月31日、福島県浪江町と飯舘村で被害者の思いを聞きました。
(柴田善太、福島県・野崎勇雄)
「とても帰れる状況ない」
浪江町内で見かけたのは除染や家屋解体の工事関係者がほとんどでした。6年前の大地震で壊れたままの家屋が多く、中心部の所どころで建て替えのための解体工事が行われている段階。同日締め切りだった解体申請は半年延長されました。
自宅のようすを見るために同日戻った佐藤貞利さん(70)は、イノシシやハクビシンなどに荒らされ放題の母屋の前で「とても今帰れる状況にはない。避難指示解除は時期尚早だ」と話します。
佐藤さんは息子2人と子牛の育成を生業(なりわい)とし、多いときには約350頭を預かって育てていました。震災時
は約160頭を預かり、自分の牛10頭を育成。和牛繁殖牛も6頭飼育していましたが、原発事故による避難で処分せざるをえませんでした。家族もばらばらになりました。
一帯は昨年春からの除染と家屋解体で更地になった所が多く、集落六十数戸のうちかなりの家庭が県外に移住したといいます。
佐藤さんは「安全だと町民をだましてきた原発の事故で家族も仕事も地域もすべてばらばらに崩された。避難指示は解除されたが、戻って何をやるのか、生計がたつのかも分からない。誰が責任をとるのか」と怒りを口にしました。
生活基盤整備に遅れ
飯舘村で農業を営んでいた菅野今朝男さん(68)は高台の家から景色を眺め、「やっぱりここが肌にあうね」と話しました。
当面、完全には帰村せず3分の1の期間は避難先の県の借り上げ住宅で暮らします。帰村する人が少なくさみしいこと、放射線量が心配なことなどから、家族が完全帰村を望まないからです。しかし、借り上げ住宅は来年3月までとされているので、その後、完全帰村する予定です。
原発事故でもビニールハウスの土は放射性物質がさえぎられたため、昨年秋の県調査でセシウムは検出限界以下でしたが、年齢的な問題、販路回復の困難さ、風評被害から営農は無理をしない程度で、と考えています。
「息子が帰ってくれば本格的にできるけど・・」と菅野さん。
避難指示は解除されましたが、可燃ごみの収集は週1日、唯一の診療所の診察は週2日など、生活基盤整備の遅れがあります。除染廃棄物を入れたフレコンバッグも各所で山積みになっています。
菅野さんは「山菜やキノコ、イノシシやキジの肉など、野生のものが食べられない状態での避難指示解除はおかしい。その上、避難指示解除したから、後は自己責任にされ、賠償も支援も打ち切りではかなわない」と話しました。
住宅無償提供打ち切り・・原発事故自主避難者
東京電力福島第1原発事故で、避難指示区域外から″自主避難″した約1万世帯が受けてきた住宅の無償提供が3月31日で打ち切られました。福島県は収入などの要件を潟たせば、来年3月までは家賃などの半額(最大3万円)を、その後1年間は3分の1(同2万円)を補助します。
ただ、県が3月10日まで実施した意向調査では、県内避難者の66・7%が避難元に戻ることを選択したのに対し、県外避難者の83%は避難継続を決めていました。福島県の打ち切り後、独自に住宅提供を続けるのは10都道府県と7市のみ。
(「しんぶん赤旗」2017年4月1日より転載)