東日本大震災から6年。日本テレビ系「ドキュメント‘17」では、3月26日に「故郷のあの川へ〜避難区域のサケ漁」(深夜1・25)を放送します。制作は福島中央テレビ(本社・福島県郡山市)。東京電力福島第1原発事故からの復興を目指す人々の姿を、故郷に戻るサケに重ねます。
(佐藤研二)
故郷のあの川へ〜避難区域のサケ漁
番組の舞台は福島第1原発から16キロほどの楢葉町と、同10キロの富岡町。両町では、川を遡上(そじょう)するサケの伝統漁法が受け継がれてきました。しかし、津波の被害に加え、事故後は避難指示区域に指定。ふるさとを追われながらもサケ漁復活に取り組む2人の男性に光を当てます。
取材を担当したのは、報道部の兵藤恋(れん)記者(26)。入社1年目の2013年秋、楢葉町の木戸川漁協でサケのふ化場長を務めていた鈴木謙太郎さん(35)
と出会い、「大好きな仕事を奪われるということはどういうことなのか。絶対、漁の再開まで取材しよう」と決意したといいます。
つながる命を
鈴木さんは木戸川の「合わせ網漁」再開を目指し、サケの放射線量の調査を続けてきました。全て検出限界値未満でも廃棄せざるをえない苦しい日々を、カメラは見つめます。15年9月に避難指示が解除され、サケ漁が再開されますが、戻るサケの数は震災前の1割にも届きませんでした。
もう一人の登場人物は富岡町の猪狩清己さん(52)。父親は震災直後、サケの稚魚を守ろうとふ化場に向かい、津波にのまれました。
猪狩さんも富岡川で独自に放射線量調査や稚魚の放流に取り組みますが、自宅もふ化場も防潮堤の建設にともなって取り壊されて——。
兵藤さんは現場に3年間通い続けました。真冬に胴長靴で川につかっての水中撮影も。「鈴木さんとサケが自然産卵した卵を見つけたときは感動しました。避難区域の中でもつながる命がある。時間が漁を再開させたのではなく、サケを思う人々の努力の積み重ねがあったことを伝えたい」
地方局の役目
福島中央テレビは、原発建屋の水素爆発の瞬間を唯一撮影した局です。以後、未曽有の災害と人々の苦悩を丹念に報じてきました。番組プロデューサーの間大介報退部次長は「6年という節目はメディアが付けること。住民は今も苦しみ続けています」と、自らを戒めます。「東京のキー局ができなくて僕ら地方局ができることは、日々伝えることです。福島が前進している姿を常にアップデート(更新)していくことが、記憶の風化を防ぐことにつながると思います」
若手の兵藤さんは県内出身ですが、「3・11」のときは東京の大学生。「福島を世界の人に知ってもらいたい」との思いから同社を希望したと言います。仮設住宅や復興住宅で孤立する高齢者や、心ならずもふるさとを離れた人たち・・。あまりにも重い現実に「なぜ取材するのか」と悩みました。「肉親を亡くした人から『自分のことを伝えてほしい』と言われ、私の役割を知りました。事実を知ってもらうことが復興につながるのだと」
4月1日に富岡町で避難指示が解除されます。しかし、解除から1年半が経過した楢葉町で帰還できた町民は800人余。震災前の約1割と、サケの遡上数と重なります。「サケ文化を守ろうと奮闘する2人から『希望』を感じとってほしい」。兵藤さんの願いです。
(「しんぶん赤旗」2017年3月20日より転載)