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裁判長悔しさ知って・・福島避難者訴訟 川俣で現地検証

牧場を見渡す場所から検証する裁判長ら(右端3人)=11月10日、川俣町山木屋
牧場を見渡す場所から検証する裁判長ら(右端3人)=11月10日、川俣町山木屋

 東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた福島県楢葉町、浪江町などの被災者が東電に損害賠償を求めた避難者訴訟(早川篤雄原告団長)で、福島地裁いわき支部の島村典男裁判長と2人の裁判官は11月10日、3回目の現地検証を行いました。川俣町で、原告の米倉啓示さん、大内秀一さん、渡邉新一さんらの牧場、里山、農地、自宅、小学校、公民館、商店街、田んぼのスケートリンクなどを終日検証しました。

 米倉さん夫妻は、山木屋で総面積約30ヘクタールの牧場にシバや牧草、野草を育てて乳牛を放牧飼育する山地酪農(やまちらくのう)を営んできました。原発事故で牧場の土は1平方メートル当たり136万ベクレルの放射能が検出され断念させられました。

 「限られた時間で、言いたいことたくさんあったが、現地を見てもらって良かったと思います」と検証を受けた感想を語っていました。

 山木屋小学校では避難生活で転校する生徒が増えて、3年生以下の児童が1人もおらず、4、5、6年生は合わせて17人(事故当時70人)。今後3年もすれば児童ゼロになってしまう危機に直面している実態を見ました。

 大内さんが事務局長を務める「川俣スケートクラブ」は、1983年に田んぼに氷が張る冬季間スケートリンクにして「川俣町スピードスケート大会」を開いてきました。ここから福島県代表の国体選手を53人送り出し、海外で活躍する選手も輩出してきました。

 大内さんは「スケート選手の後継者を生み出すことができなくなりました。福島県で行われた国体には9人の山木屋の子どもが出場しています。リンクには浅田真央さんも見に来てくれたこともあります。悔しい。検証で裁判長に私たちの思いは伝わったと思います」と話していました。

(「しんぶん赤旗」2016年11月11日より転載)