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“もんじゅと核燃料サイクル”早期断念を②・・続くトラブル・事故/危険で無駄な計画計

 高速増殖炉開発の歴史は古く、日本では1956年の第1回原子力長期計画に「原子炉開発の将来の目標は、増殖動力炉の国産化」と明記されています。67年の第3回では、「昭和60年(85年)代の初期に実用化」を目標として掲げています。

  各国で見直し

 「もんじゅ」(福井県)は、実験炉「常陽」(茨城県)に続く第2段階にあたる原型炉。68年に旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が、予備的設計を開始。初臨界は、トラブルによる延期を余儀なくされながら、94年4月に達成されます。

 その後も改造工事などで計画を延期して95年8月に初送電しますが、その年の12月にナトリウム漏れ・火災事故を起こします。

 動燃の事故対応のまずさだけでなく、現場を撮影したビデオを隠したことが発覚し、大きな社会問題となりました。

 このころすでに英国、米国、ドイツなどでは、安全性や経済性の問題から高速増殖炉開発計画は見直しや中止に追い込まれています。フランスは原型炉の次の段階である実証炉「スーパーフェニックス」で事故が相次ぎ、その後の計画の変更や廃止へとつながります。

 日本共産党は事故前から国会などで、技術的な見通しのなさに加え、ナトリウム火災やもんじゅ近傍の断層の危険性などを指摘。危険で無駄なもんじゅ計画と核燃料サイクル政策の見直しを要求してきました。

   許可無効判決

 85年には周辺住民40人が、国による設置許可の無効などを求めて福井地裁に提訴。この裁判の原告には日本共産党の敦賀市議なども参加します。一審は住民敗訴となりますが、二審の名古屋高裁金沢支部は2003年、国によるもんじゅの設置許可を無効とする判決を出します。国が上訴し、05年最高裁で住民側か敗訴しますが、高裁レベルで住民側か勝利した画期的な出来事でした。

 日本共産党の佐藤正雄福井県議は「事故後、福井県でも、もんじゅの再稼働に反対する署名が22万人も集まりました。長年の住民のだたかいがあったから、もんじゅを追い詰められた」と話します。

         (つづく)

■もんじゅ年表

1967年10月 動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が発足

 68年      予備設計開始

 80年      設計終了

 83年5月    国が設置申請許可

 85年10月   着工

 94年4月    初臨界

 95年8月    初送電

 95年12月  試験運転中にナトリウム漏れ・火災発生

 98年10月  動燃を核燃料サイクル開発機構(核燃機構)に改組

2005年10月 核燃機構と日本原子力研究所が統合し、日本原子力研究開発機構が発足

 10年5月    試験運転再開

   8月      炉内装置が落下

 12年11月  約1万件の機器点検漏れが発覚

 13年5月    原子力規制委員会が運転

            再開準備の停止を命令

 15年11月  規制委が文部科学相へ原子力機構に代わる新たな運営主体を示すよう勧告

 16年5月   文部科学省の有識者検討会が、もんじゅの存続を前提に運営主体の要件を示す報告書をまとめ、文科相に回答

(しんぶん」赤旗2016年10月29日より転載)