東京電力福島第1原子力発電所の立地自治体である双葉町と大熊町、第2原発の立地自治体である楢葉町と富岡町がある双葉郡は、首都圏に電気を送る「電源地帯」でした。
しかし、2011年に起きた原発事故によって双葉郡の大半の地域が避難区域(帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域)に指定されました。
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双葉町と大熊町には、羽田空港を上回る1600万平方メートルの「中間貯蔵施設」が建設されます。そして、福島県内43市町村にある800カ所以上の「仮置き場」や、住宅の敷地内や田畑や校庭や公園など5万カ所以上に置かれている、除染作業によって発生した汚染土や草木や落ち葉や側溝の汚泥など東京ドーム18杯分に相当する放射性廃棄物が運び込まれ、最長で30年間保管される、という計画が立てられているのです。
南相馬で暮らしていると、「一日も早く中間貯蔵施設を整備して、黒いフレコンバッグを持って行ってほしい」「何段にも積み重なっているフレコンバッグを見ると鬱(うつ)になりそうだ。あれを見るのが嫌で、日課だった散歩もできなくなった」という訴えをよく耳にします。
でも、生まれ育ったふるさとが「中間貯蔵施設」になる双葉町と大熊町の住民お一人お一人の顔と向かい合うと、そんなことは口が裂けても言えるものではありません。大熊町の「中間貯蔵施設」予定地の地権者のご夫妻(60代)は、一時帰宅に同行させていただいた際、「国や電力会社には、絶対に売らない。ここに住み、ここで死にたい」とおっしゃり、玄関のつるバラのアーチを見て、涙を流していました。実際、国と地権者との用地交渉は難航しています。国に用地として売ってしまえば、元住民であっても、「中間貯蔵施設」への立ち入りは許可されないからです。
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9月4日、いわき市生涯学習プラザで開かれた双葉郡の「未来会議」で「それ
ぞれの、ふるさと」というテーマでお話をしました。
東日本大震災以降、「ふるさと」という言葉をテレビや新聞でたびたび目にします。
「ふるさと」という唱歌も、よく歌われています。「兎(うさぎ)追いしかの山 小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷」
ふるさとを離れて首都圏で暮らす人々の豊かさや欲望を支えた「電源地帯」の人々のふるさとが、放射性廃棄物で埋め尽くされる—。
帰るべきふるさとを失い、退路を断たれた人々の痛苦と望郷の念を、忘れないでほしいのです。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者)
(月1回掲載)
(「しんぶん赤旗」2016年9月26日より転載)