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福島原発かながわ訴訟 失われたもの(上)・・深呼吸もはばかられ

東京電力福島第1原発事故で、福島県から神奈川県内に避難した被災者17世帯44人が、国と東電に損害賠償を求めている福島原発かながわ訴訟の第1回口頭弁論が1月29日、横浜地裁で開かれました。意見陳述した原告のうち、2人の陳述要旨を紹介します。
(神奈川県・河野建一)

原告団長 村田弘さん(71)の陳述

南相馬市小高区から横浜市内に夫婦と猫とで避難しています。原発の大災害から間もなく3年になります。いまも14万人近くの人々が全国に散らばって避難生活を送っています。

1600人が関連死

奪われ、失われたもの。その第一は人命と健康です。昨年(2013年)、ある国会議員が「原発事故による死者はいない」と公言しました。私ははらわたがちぎれるような怒りを感じました。爆発事故直後、放射能汚染に絶望して自ら命を絶った須賀川市の有機農家、「お墓に避難します」という遺書を残して逝った南相馬市のおばあさん、「原発さえなければ」と牛舎の壁に書き残した相馬市の酪農家。忘れようにも忘れられない事実です。福島県内の市町村が認定した災害関連死は、昨年末で1600人を超え、あの大震災・津波による死者を上回りました。人の死は、たとえ病気であっても家族、親族、知人、友人の心を砕きます。集まって弔うこともままならないのが「原発災害死」です。

奪われ、失われたものの第二は、日常生活です。原発災害が発生した当時、私は69歳。福島第1原発から北へ16キロの小高区で農業を営んでいました。60歳で会社を定年退職した直後に帰郷して、妻の実家に残された2000坪ほどの果樹園跡地を開墾してモモやリンゴ、ブルーベリーなどの果樹を植え、野菜を作り、横浜や川崎に住む子どもや孫に送るのを楽しみにしていました。こんなささやかな生きがいも奪われました。

奪われ、失われたものの第三は地域社会です。小高区は、人口1万3千人ほどの田舎町でした。高齢化が進み、商店街は活力を失いつつありましたが、「お年寄りが安心して住める町」を合言葉に、地道な地域づくりが進められていました。これらの努力は一瞬にして破壊されてしまいました。

道端の草 避け

奪われ、失われたものの第四は自然です。5千年もの間続けられてきた食生活、豊かな自然の恵みが奪われたのです。深呼吸もはばかられ、道端の草を避けて通らなければならない子どもたち。有機栽培の肥料だった堆肥や草木灰は「汚染ゴミ」とされ、行き場を失っています。

私たちの願いは「元の生活、ふるさとを返してほしい」という一言に尽きます。国と東電の責任を明らかにしたうえ、わずかでも明日の見通しが立ち、子どもや孫たちに引き継げる安全と安心を保障してほしいということです。

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