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“福島に生きる”無関心を悔いて・・元福島県立医科大学助教授で生業訴訟原告に加わった 土橋宣昭さん(75)

ikiru16-7-12 土橋宣昭(つちはし・のぶあき)さん(75)は、福島県立医科大学医学部附属放射性同位元素研究施設の助教授でした。

 北海道大学大学院工学研究科で放射線化学などを多岐にわたって学びました。

 40歳のときに福島県にきて35年になります。果物が豊富でおいしく、温泉も近くにあり、「住みやすい町」と、気に入っていました。

 5年前「3・11」で原発事故が起きて、「平和な町に放射能が降ってくる」ことになりました。

■孫が来なくなり

 体験したことのない大地震でした。水道が止まり、人々は給水車の周りに並びました。「このときに福島市民は、高まった放射線環境の中にいました。乳児を抱えた若い女性もいました」。市民に動揺が広がり、遠隔地に避難する人も増えました。土橋さんには当時、1歳半の孫がいました。1人だけの孫は、祖父母のいる福島に長いこと訪ねてこなくなりました。

 「安全だ」と言ってきて事故を起こした東京電力。「国策として原発をエネルギー政策の基本においてきて、事故があっても誰も責任を取らない」ことに疑問を持ちました。「福島は率先して原発なしでやっていってほしい。原発なしでやっていける福島にすべきだ」と、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告に加わりました。

 「気に入っている平和な古里を返せ」と声を上げるためです。

■国と東電に驚き

 この生業訴訟の第10回口頭弁論で舘野淳・元中央大学教授(核燃料化学)が証人として陳述することを知り、希望して傍聴しました。

 「原発の安全対策に不備があった」という舘野氏の指摘。「国も東電も対策を取る機会があった」にもかかわらず無視し続けたことに驚きました。

 「無関心できた」自分に悔いました。改めて、いくつかの原子力・原子力発電に関する本を読み返しました。「人と原発は共存できない」ことを認識し直しました。

 「事故が起きたら大変な事態となることははっきりしました。原発は止める方向にしてゼロヘ。自然エネルギーに転換すべきです」

 朝鮮で生まれて、5歳のときに終戦となり、釜山から日本に帰国しました。「引き揚げ後は食料不足でひもじかった」と、戦争体験を語ります。

 数で押し通した安保法制=戦争法は憲法違反だとして廃止を求めています。

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2016年7月12日より転載)