核・エネルギー問題情報センター(*Nuclear and Energy‐Related Information Centre)は3月27日、都内で、福島第1原発事故に至る日本の原子力開発史を振り返るシンポジウムを開きました。
山崎正勝東京工業大学名誉教授が、日本の原子力開発史と米国の対日政策について解説。現在の日米原子力協定の期限が2018年に迫っていることから、青森県六ケ所村の再処理工場を進めようとしている現政権がこの協定を継続しようとすれば、「国民世論とぶつからざるを得ない」と指摘しました。
元日本原子力研究所勤務の青柳長紀さんが、研究者の自主性や研究の自由が許されない体制で、高速増殖炉「もんじゅ」などの開発が進められたことを説明しました。
元動力炉・核燃料開発事業団(動燃)職員の円道正三さんは東海再処理施設の歴史を紹介。労働組合が技術的な問題を指摘したにもかかわらず、動燃が無視して本格運転を行い、事故・故障が相次いだと話しました。さらに動燃は、導入時の地元の説得に″国の厳しい審査を通った″と繰り返したことを円道さんは強調しました。
元原子力研究所研究員の舘野淳中央大学元教授が、原子力開発におけるいくつかの転換点を紹介しました。
(「しんぶん赤旗」2016年3月28日より転載)(*=山本雅彦)