東京電力福島第1原発事故と放射能汚染で町内全域が避難対象となり、5年たっても全町民約2万1000人への避難指示が継続している福島県浪江町。同町や避難先を歩き、深刻さを増す被災者の状態とともに、過酷な原発災害に対するたたかいをリポートします。(阿部活士)
ゼネコン仕切る除染
5日の土曜日、浪江町から「公益一時立入車両通行許可証」を受けて、検問のある町内に入りました。
来年(2017年)3月をめどに政府が避難指示を解除する避難指示解除準備区域と居住制限区域では、遅れている除染作業が急ピッチに続いていました。
加倉地区もそのひとつ。「除染作業中」と書かれたオレンジののぼりをたてて除染する作業が朝からおこなわれていました。底で草木を集める作業をしていた人が、記者の線量計をのぞきながら、「いくらあるの」と聞きます。毎時4マイクロシーベルトほど。「やはり、ここは高いね」といいながら、作業に戻りました。
町内の中心商店街で開業しているのは2軒のガソリンスタンドだけ。昼休みは車が列をなしました。一様に「浪江その4工事」と書かれた白いテープが貼ってあります。下に小さく「安藤ハザマ、戸田建設、不動テトラ、浅沼組、岩田地崎建設JV」の文字。
「浪江その4工事」とは、環境省が発注元にした国直轄の除染事業のうち、浪江では3まで終わり、4番めの事業を請け負っている印です。
車種はバン、ワゴンのほか軽自動車までさまざまで、ナンバーも札幌、青森、山形、野田(干葉県)などバラバラです。原発建設で大もうけした″原発利益共同体″の一角、大手ゼネコンが国の巨額な除染作業を仕切りながら、被ばくの危険がある現場作業員を各地から集めている様子を垣間見ることができます。
″ふるさと返せ″と団結
その工事を遮断するように、国道を封鎖する二つ目の検問所があります。
帰還困難区域への入り口です。浪江町の総面積の8割を占めます。
地元住民も帰還困難区域への立ち入りは、月に決められた数日間に限られます。取材に入った日は、盗難防止でパトロールする車に出合っただけでした。
一本道の山道を走ると信号機が設置された場所に出ます。津島地区の中心です。自然豊かな山間部で約450世帯、1400人が暮らしていました。
ここで、「帰還困難区域にされた津島は消滅してしまう」という危機感から、党派を超えたたたかいが始まっています。
「原発事故による完全賠償を求める会」です。日本共産党の馬場績町議と自民党の三瓶宝次町議が共同代表になりました。福島市にいる三瓶町議はいいます。
「平穏な生活と故郷が一方的に奪われ、強制的に避難させられた。いまも続いている。住民の代表として、津島地区に育ち、生活していた者として、住民を守っていくのは、共同の責任だと2人で相談しながら、やってきました」
300世帯余が「求める会」に結集しています。国と東京電力を相手に、原状回復と精神的損害賠償を求める「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」(第1次・昨年9月、第2次・ことし1月15日)をたたかっています。土地や家屋などの財物被害は、原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に申し立てる方針です。
「国は帰還困難区域を指定するだけで、住民に先の見通しを示していない。森林の除染をやらないという国の言い分は、中山間部にある津島の住民として承服できない。津島住民みずから立ち上がらないと、住民の生活再建と地域再生はできない。故郷への思いがあっても、避難期間が長くなればなるほど子どもの教育や仕事場など帰るに帰れない事情が多くなる」
「DASH村」への思い
三瓶さんには、もうひとつ津島再生にかける思いがあります。
日本テレビ系番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の人気コーナー「DASH村」は、実は浪江町津島にあり、三瓶さんが土地を提供したと明かします。津島地区の人が農村生活を指導する裏方として働いたといいます。
「DASH村」は、原発事故をきっかけに撮影ができずに事実上の閉鎖状態です。いまでもTOKIO(トキオ)のメンバーと交流があると三瓶さん。
あれから5年。いまは、三瓶さんが管理して、いつでも再開できるように草刈りをしているといいます。
「ゆくゆくは土地を公的な管理に移して津島の一大観光地にしようと思っていました。原発事故が起きてダメになりましたが、トキオのメンバーと一緒に津島の再生とDASH村の再生をいっしょにやりたい」
「求める会」の会員は、いろんな思いをもって参加しています。
材木商と小売りをやっていた「瀬賀商店」の店主、瀬賀範眞さん。病弱だった妻に続いて、「津島に帰りたい」と何度も話していた母親を二本松市内の仮設住宅でみとりました。
「2人の無念を晴らしたい。国と東電は生業の林業とふるさとを返せと叫びたい。国にたいして森林除染を早くしろ、津島の生活圏を除染しろといいたい」
″解除″では終わらない
浪江町は、環境省の除染事業が終わる来年3月を目標に、上下水道の回復などライフラインの確保とともに、商業施設や医療機関を役場周辺につくり、戻りたいと思う町民のために復興計画を立てています。
二本松市の仮役場で担当する復興推進課の小島哲主幹は「原発災害への町民一人ひとりの思いが違う。″帰れ″というだけでは、すべての町民に応えられない。″帰れない、帰らない″という選択や価値観を認めないといけない」と話します。
避難指示の解除で帰還を強制し、復興が終わったかのような安倍政権に注文を出します。「解除は浪江町復興のスタートライン。それもマイナスからのスタートです。帰ったほうが苦労の多いのは目に見えています。町の立場でできることをやりつつも、国の方も解除しただけで終わりにしないで、支援をしっかりしてほしい」
「政府が本腰を入れないと、肝心の医師が見つからないのではないか」と心配するのは、町立津島診療所の医師、関根俊一さんです。現在、二本松市内の仮設住宅に併設された仮設診療所で避難住民の検診にあたっています。
関根さんによれば、震災前双葉郡医師会に所属した医師が54人いましたが、事故後39人に減り、幽霊会員ともいえる県外の会員を除くと実質19人だけです。
「被害にあって、放射能は目に見えなくて始末におえないものだとわかった。これだけの被害を生む原発はいらない。5年たった今もその感は強くなるだけです。いくら補償をもらっても故郷がなくなったわけで、打撃は大きすぎる。過酷な避難生活を強いられ、家族を含めて亡くなった。この責任はどうなるのか。安倍政権のすすめる原発再稼働なんて、何をやっているんだ、という気持ちです」
(「しんぶん赤旗」2016年3月11日より転載)