避難計画を含めてこそ国際基準
大津地裁が関西電力の高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の運転差し止めを命じた決定(2016年3月9日)について、井戸謙一弁護団長(元金沢地裁裁判長)にその意義を聞きました。
(山沢猛)
仮処分決定についてどのように評価していますか。
決定により史上初めて現実に動いている原発が止まりました。これは「命とびわ湖を守ろう」と勇気をもって申立人になった人たち、申立人を支えた人たち、そして全国で原発ゼロを希求しているたくさんの人たちの力のたまものです。みんなの思いが裁判官の魂を揺さぶったのだと思います。
さっそく右翼ジャーナリズムが「常軌を逸した地裁判断だ」(「産経」主張)などと書いていますが、大津地裁の山本善彦裁判長はそういう攻撃は織り込み済みだったと思います。攻撃されても自分の判断を多くの市民が支持・支援してくれる、そう思ったからこそ思い切った決定が出されたのです。
「新規制基準」に合うだけではダメ
この決定の特徴はどこにありますか。
2点お話しします。一つはこれまでの裁判で、再稼働をめざす電力会社が立証すべきことは、政府の原子力規制委員会の新規制基準に合致しているという判断を得たということだけだったのです。
しかし、今回の決定はそれだけではだめだといいました。東京電力福島第1原発の大変な事故を経験したのだから、その教訓に立って規制内容がどう厳しくなったのか、その規制に関西電力はどう応えたのか、それを裁判所にわかるように説明すべきだとのべました。そして関電が福島の事故後の国民の中にある要請に応えていないということが差し止めの大きな理由になりました。
ふりかえると、福井地裁の樋口英明裁判長は、大飯原発3、4号機の運転差し止め判決(2014年5月21日)で、福島の事故の経験をふまえ、方が一にでも同じようなことが起きる危険性があるのであれば、裁判所は原発を差し止めなければならない、それをしないのであれば裁判所に課された最も重要な責務の放棄だといいました。
一方、昨年(2015年)12月24日、高浜原発3、4号機停止の仮処分決定を取り消した福井地裁の別の裁判長は、福島の事故の教訓をまったく判断内容に生かしていません。
こう考えると裁判官が福島の事故を真摯にとらえて、それをどう生かして判断に取り込んでいくか、その姿勢の有無が結論を分けるということがよくわかったと思います。
もう一つの特徴はどうですか。
決定の差し止めの理由は、過酷事故対策(電源事故対策、使用済み核燃料の冷却設備)、耐震性能、津波対策などいくつもあります。そのなかで一番大事なのは「避難計画」の問題だと思います。
まず、仮処分決定は避難計画が地方自治体に丸投げされている、国は責任をもった立場で関与しないし、規制委員会は設置許可を出すに当たって避難計画を審査の対象にしないが、それは違うと指摘しました。「国家主導での具体的な可視的な避難計画が早急に策定されることが必要」である、国には「過酷事故を経た現時点においては、そのような基準を策定すべき信義則(=信義誠実の原則)上の義務が発生してきている」といいました。
原発の運用は国際基準にのっとって行わなければならないことは当然です。その国際基準は何かというと、多重防護(*関電のいう「多重防護」をまったく別で、「深層防護」ともいう」)という考え方が常識になっており、国際原子力機関(IAEA)は「5層の防護」を提示しています。
これは、まず原発のトラブルをおこさない、トラブルを拡大させない、トラブルが拡大しても過酷事故(大量の放射性物質が外部に流出すること、シビアアクシデント)に至らせないという「3層」に加えて、過酷事故が起きてもそれをできるだけ小さくする(4層)、事故で放射能が大量に放出されたさい適切な避難計画で住民を守る(5層)、これが「5層の防護」です。
そして、これらの防護はそれぞれ独立していなければならない。過酷事故に至らせない十分な対策がなされているから(3層まで)、過酷事故対策とか、避難計画はしなくてよいという考え方は、許されていません。
「5層の防護」には届かない「新基準」
規制委の基準は「5層の防護」になっていないのですか。
5年前の事故までの日本の安全基準は、3層までしか審査しませんでした。どうしてかというと、日本で過酷事故は起こらないという「安全神話」にとらわれていたからです。
福島の事故をふまえて新基準ができたのですが、5層の避難計画は対象になっていません。規制委員会の基準は国際基準にのっとっていないのです。
今回の仮処分決定はこの国際基準をふまえて、「新規制基準を満たせば十分とするだけでなく」「避難計画を含んだ安全確保対策にも意を払う必要がある」と関電の無責任を指摘したのです。
今後の裁判でそれぞれの裁判所がこれらの問題に答えを出さなければなりません。
これまで原発を差し止めるのは「ちょっと変わった裁判官」といわれたり、よほどの決心がなければ判決・決定はできないといわれましたが、これからは″普通の裁判官″が普通に判決して原発を差し止めることができる、そういう時代が切り開かれる可能性があると思います。
原発に固執する政治を包囲しよう
この5年間でいえることは。
まず電力供給のためにまったく原子力発電が必要でないことが明らかになりました。省エネや他のエネルギーの開発がすすんでおり、将来的に原発が電力供給に必要だということは考えられません。
電力会社がしゃかりきに原発を動かそうとするのは別に「公益・公共」のためではなく、自分たちの経営の安定のためなのです。福島第1原発の1〜3号機の原子炉の状態もわかっておらず、事故の原因もよくわからない、いまなお約10万人の人々が県内外で避難生活を続け、震災関連死は2000人を超えました。
一私企業の経営のために膨大な人たちを不幸のどん底に突き落とし、さらに次の過酷事故を起こして国家を崩壊させてしまうことが許されるのでしょうか。
しかし、いま経済産業省と電力会社がしようとしていることは「原子力損害賠償法の改正」です。今は事故を起こした電力会社は被害者にたいし100%補償しなければなりませんが、「改正」で補償を有限にする、上限を決めようとしています。裁判では事故は起きないといいながら、裏では今後の事故を想定して補償を減らそうとしています。
核は軍事利用であっても「平和利用」であっても、地球環境を破滅させ、子どもたちと生きとし生けるものの未来を奪います。原発ゼロの社会を実現する方向が見えてきた今、原発固執の政治を包囲するために全国で手を結び、力をつくしていきましょう。
(「しんぶん赤旗」2016年3月20日より転載)(*=山本雅彦)