ほぼ全域が東京電力福島第1原発から20キロ圏に入る福島県双葉郡楢葉(ならは)町。指定されていた「避難指示解除準備区域」は昨年(2015年)9月5日に解除されました。原発20キロ圏内の旧警戒区域での避難指示解除は3例目。″帰還″が始まってから6ヵ月の実態と課題を追いました。(中東久直)
東京電力に損害賠償を求める福島原発避難者訴訟原告団長の早川篤雄さん(76)が住職を務める楢葉町の宝鏡寺を訪ねました。
「3・11以前の元の生活、生業(なりわい)ができるようになったという″帰還″ではありません。原発事故収束や復興のための建設関係の車両や作業員の姿は多い。しかし、私の周辺でも町民は、まだぽつりぽつりしか帰っていません」
700件の家屋撤去
同町を南北に貫く国道6号線を少し離れると、除染土壌などの仮置場が目につきます。
原発事故直後に「警戒区域」に指定されて全域避難。同区域は2012年8月に「避難指示解除準備区域」(年間積算線量20ミリシーベルト以下)に見直されました。生活圏(住宅や道路、農地)とその周辺の森林は国が除染を実施。しかし、「林縁部から森林側に20メートル入った部分」だけの除染です。
早川さんは「″年間積算線量20ミリシーベルト以下のリスクは少ない″というのはとんでもない。もとのように農業ができる状況ではありません」と語ります。
同町によれば人口は2750世帯7381人(2月29日現在)で、県内や県外への避難者は6900人余にのぼっています。帰還者は265世帯459人、帰還率6・2%。(4日現在)
早川さんの妻、千枝子さん(72)は「毎日毎日、町のどこかで家が解体されている現場を見かける」といいます。
楢葉町の宝鏡寺住職の早川篤雄さん
放射性物質汚染対処特別措置法に基づき国は、福島県内11市町村を対象に、り災証明で半壊以上と判定された家屋等の解体撤去を実施。環境省福島環境再生事務所は「楢葉町では13年秋から約1200件を受け付け、いままで700件の解体撤去を実施した」といいます。
長い間放置したままになっていた家の屋根の改修、畳交換、風呂・トイレ・台所のリフォーム工事は半年から1年待ちの状態。「もう戻らない」と決めて、さら地にした住民もいるといいます。
千枝子さんは、社会福祉法人希望の杜福祉会の地域生活支援センター「結いの里」所長を務めています。
「『結いの里』など三つの障害者施設で、豆腐づくりや相談、遊びなどに取り組んできました。生きがいも、つながりも奪ったのが原発事故です。利用者は96人いましたが、いま1人しか戻れていない。いまは、いわき市の仮設施設で行っていますが、以前通り楢葉町で運営できるように準備中です」と語ります。
補償継続は当然
いわき市内の仮設住宅には、楢葉町の人たちが多く暮らしています。前は2世代で住んでいたという女性(73)は「高齢者だけで暮らすのは不安で帰れない。復興したように見えるのは高速と国道6号線周辺だけ。復興したなんてとんでもない。私はもう原発再稼働反対です」と話しました。
早川篤雄さんはいいます。「損害賠償や補償の方針は被害者の声を無視して、加害者の東電・国が一方的に決めたもの。なぜ避難指示解除なのか。″帰還″させて早く打ち切ろうとするのはとんでもない。元の生活に戻るまで賠償、補償するのは当然ではないか」
(「しんぶん赤旗」2016年3月9日より転載)