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東電元会長ら3人強制起訴・・「津波予想できた」“全対策怠り運転継続”/業過致死傷罪

防潮堤を超えて福島第1原発に迫る津波=2011年3月11日、東京電力提供
防潮堤を超えて福島第1原発に迫る津波=2011年3月11日、東京電力提供

 東京電力福島第1原発事故をめぐる検察審査会の起訴議決を受け、津波を予想できたのに対策を怠ったとして、検察官役の指定弁護士は2月29日、勝俣恒久元会長(75)ら東電旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴しました。2011年の事故発生から5年を経て、原発事故の刑事責任が初めて法廷で争われます。

 事前に争点や証拠を整理する手続きに時間と要し、公判が始まるのは来年になる公算が大きくなります。3人はいずれも「予想できなかった」などと無罪を主張するとみられ、公判は長期化が予想されます。

 他に起訴されたのは、原子力部門の責任者を歴任した武藤栄(65)、武黒一郎(69)両元副社長。東京地検は3人を不起訴としましたが、東京第5検察審査会が昨年7月に「起訴すべきだ」と議決し、地裁が選任した指定弁護士が準備を進めていました。

 起訴状などによると、勝俣元会長らは福島第1原発に10メートルを超える津波が襲来し、非常用電源設備などの機能が失われ、事故が発生する可能性を予見できたのに、安全対策を怠り漫然と運転を継続。11年3月の東日本大震災による巨大津波で炉心損傷などの重大事故を発生させ、水素爆発で作業員13人にけがをさせたほか、近隣の双葉病院から避難した入院患者44人を死亡させたとされます。

 原発事故の刑事責任をめぐっては、被災者らの告訴・告発を受け、東京地検などが当時の東電経営陣や政府関係者を捜査。同地検は対象となった42人全員を不起訴としましたが、申し立てを受けた検察審は勝俣元会長ら3人を2回にわたり、起訴すべきだと議決しました。

 検察審は議決で、勝俣元会長らは地震により最大15・7メートルの津波が福島第1原発を襲うとの試算結果の報告を受けていたと強く推認されると指摘。「安全対策を検討する間だけでも運転を停止していれば事故は避けられた」と断じていました。

 経済産業者の旧原子力安全・保安院幹部と東電担当者の計5人についても、別の検察審が不起訴処分の妥当性を審査しています。

「コメント控える」・・東京電力

 旧経営陣3人が強制起訴されたことについて、東京電力は2月29日、「報道は承知しているが、刑事訴訟に関することであり、コメントは差し控えさせていただく」との談話を発表しました。

「起訴は励み」・・原発告訴団

 東電元会長らが29日、業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴されたことを受け、告訴・告発に取り組む「福島原発告訴団」団長や代理人の弁護士が同日、都内で記者会見しました。

 武藤類子団長(62)は、「今も困難と悲しみの中にある何十万人にも及ぶ事故の被害者にとって、起訴は励みになります。裁判で新たな事故の真実が明らかにされ、責任をとるべき被告人たちに公正な判決が下されることを信じています」と語りました。

 河合弘之弁護士は「検察審査会が2度にわたり議決をしていなかったら、問題点が全部闇に葬られていた。歴史の闇から引きずり出し、スポットライトを浴びせなければならない」と強調しました。

解説・・強制起訴

 検察の不起訴処分に対し、検察審査会の議決に基づき、裁判所に検察官役として選任された指定弁護士が行う起訴。検察審はくじで選ばれた一般市民11人で構成され、8人以上が起訴すべきだと判断すると、検察は再捜査しなければならない。再捜査で不起訴なら2回目の審査を行い、再び8人以上が起訴すべきだとの結論に至った場合、強制力のある「起訴議決」となり、指定弁護士によって起訴される。2009年の制度導入後、今回を含む9事件が強制起訴となり、有罪2件と無罪3件が確定している。


遺族“事故の真相知りたい”・・介護施設から避難後死亡

 「なぜ死ななければならなかったのか」。東京電力福島第1原発から約4・5キロの双葉病院系列の老人介護施設「ドーヴィル双葉」(福島県大熊町)に入所していた母親=当時(79)=を事故後の避難で亡くした同町出身の男性(58)は、今も割り切れない気持ちでいます。

 原発を津波が襲った2011年3月11日。東京都内に住んでいた男性の頭に真っ先に浮かんだのは母親の安否でした。「無事に避難できたのか」。4日が経過し諦めかけたころ、自衛隊に救助され会津若松市の病院にいることが分かりました。

 再会した母親は別人のようでした。寒い中で救助を3日間待った上、数百キロのバス移動ですっかり衰弱。寝たきり状態となり、話しかけてもほとんど反応がありませんでした。容体は改善せず、1年半後に息を引き取りました。

 双葉病院とドーヴィル双葉では事故後の混乱で患者らの救助が遅れ、50人以上が犠牲となりました。「助かる命もあったのでは」。男性は東電旧経営陣の刑事裁判で、母親の死を招いた事故の真相が明らかになることを願っています。

(「しんぶん赤旗」2016年3月1日より転載)