東京電力福島第1原発事故の発生から5年を迎えるのを前に、時事通信記者が2月22日、4号機原子炉建屋1階に入りました。地震と津波に襲われた内部は多くの機器が壊れ、さび付いたまま。廃炉に向け姿を変えていく第1原発の中で、今も事故の傷痕が生々しく残っていました。
東日本大震災が起きた時、4号機は定期検査のため停止していました。運転中だった1〜3号機と異なり炉心溶融(メルトダウン)は免れましたが、原子炉建屋は水素爆発を起こして大破しました。
5階の使用済み燃料プールには当時、検査で原子炉から移された分を含め、第1原発で最も多い1535体の核燃料がありました。東電は爆発で開いた天井をふさぐカバーを設置。1年余りかけて全燃料を取り出し、2014年12月に移送を終えました。
現在の4号機の外観から、当時の様子はうかがえません。だが1階の内部には傷痕が残っていました。
天井からコードが垂れています。定期検査で開けられていた丸い扉から原子炉格納容器の内部に入ると、大小さまざまな配管がうねるように延びていました。さび付いた鎖や機器類の奥に、核燃料を入れる圧力容器が見えます。放射線量は毎時30マイクロシーベルト。検査用のシートが破れ、ぶら下がっていました。
1階は津波で浸水し、海水が地下に流れ込みました。壊れた機器の中で、地下にたまった水を処理するため事故後に設置された黒い配管だけが新しくなっています。隅に寄せられたがれきの中に、丸い大きな時計がありました。針は津波到達後の午後4時15分ごろを指して止まっていました。
燃料の取り出しが終わった4号機は、最も作業が進んでいる原子炉。東電の広報担当者は「4号機内部の片付けは優先順位が低い。限られた人手を1〜3号機に回している」と話しました。
(「しんぶん赤旗」2016年2月28日より転載)