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“福島に生きる”原発事故伝え続ける・・原発ゼロをめざす須賀川の会代表 堂脇和秀さん(46)

「何も責任を取らない国と東電は許せない」と語る堂脇さん
「何も責任を取らない国と東電は許せない」と語る堂脇さん

 「人間は身に降りかかってこないと他人事(ひとごと)としてしまう」と話すのは、福島県の原発ゼロをめざす須賀川の会代表の堂脇和秀さん(46)です。

 2012年6月、妻(32)と南相馬市小高区や飯舘村を見てまわりました。人がいなくなった飯舘村を見た妻は、荒涼とした風景に心が締め付けられて涙しました。

 このときの放射能汚染に対する妻の衝撃は大きく、「今は子どもをつくろうとは思えない」と訴えるようになりました。

■会を立ち上げて

 同年8月に堂脇さんは、原水爆禁止世界大会広島大会に参加しました。「福島の現状について話をしましたが、まだまだ福島の実態については伝えられていない」と感じました。

 広島から帰ったこの年11月に事故を忘れず伝えていこうと妻や市民団体とで原発ゼロをめざす須賀川の会を立ち上げました。「声を上げられないでいる人たちに代わって声を上げたい」と堂脇夫妻は誓いました。

 月1回第2日曜日に脱原発の訴えを須賀川市内の大手スーパー前で続けています。「数人で始めたのが今は20人前後の人たちが参加して原発ゼロヘの声をあげています」

 堂脇さんは、パソコンや携帯電話などに使われる半導体用石英製品(ガラスの一種)を製造する企業で働いています。

 会社は、2008年9月、世界同時不況となったりリーマン・ショックの影響を受け、堂脇さんら十数人の解雇を一方的に通告しました。「悔しかった」と当時を振り返ります。

 ワンマン経営でものが言えない職場でした。

■教訓は諦めない

 「泣き寝入りはしたくない」。須賀川市内の労働組合や福島県内の弁護士事務所に電話をかけて相談するものの「職場には戻れないだろう。会社を辞めて次を探せばいい」と支援は断られました。

 何カ所かで断られた中で、全労連加盟の岩瀬・須賀川地方労働組合総連合だけが相談に乗ってくれました。解雇無効・原職復帰を求めて福島地裁に提訴。2年半たたかい、原職復帰の勝利和解を得ました。

 2014年4月、会社は堂脇さんに対し台湾工場への出向を命じました。全労連全国一般福島一般労組の組合員だった堂脇さんは団体交渉などで撤回を求めましたが、会社は拒否。再び提訴し、撤回させました。「たたかう労働組合の存在は大きいです。労働者の権利を守るために諦めてはいけない」。教訓となりました。

 「3・11」後の国と東電の対応は、加害者なのに何も責任を取ろうとしない無責任な姿勢でした。

 堂脇夫妻は「理不尽極まりない」と生業(なりわい)訴訟の原告に加わりました。「子どもをつくることを考えてしまう」とまで思いつめた妻の気持ちを察すると、加害者の国と東電が許せなかったのです。

 堂脇さんは「原発事故からまもなく5年。安心して福島で子どもを産み育てることができるように住んでいる福島の土地から発信し続けます」と、妻とともに福島で生きる決意です。

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」201625日より転載)