福島県相馬市で「大野村農園」を営む菊地将兵さん(30)。妻の陽子さん(31)とブロッコリーやレタスなどの野菜栽培と養鶏に打ち込んでいます。
将兵さんが東京からUターンしたのは東日本大震災が起きた直後の2011年5月のことでした。Uターンするまでに全国の農家に住み込み、研修を積みました。「家もない。お金もない。無謀だ。何をバカなことを言う」と周囲から諭されました。陽子さんと何度も話し合いました。
栽培した野菜から放射線量が測定されたら諦めることにして、新規就農者支援制度を利用して土地を借りました。栽培結果は安全性が確認できました。
「食は命の源」と食料生産者になることにこだわったのは、20代はじめのころ路上生活者支援のボランティアに参加したことからでした。「一杯の食事を求めて何時間も並ぶ。『3日間、何も食べていない』と言うホームレスの過酷な生活に『食』への関心を高めた」と言います。
■風評被害いまも
「3・11」からまもなく5年になります。「風評被害はやまず、価格は安く、下げ止まりのまま。東京電力からの賠償もない。いばらの道」でした。
早朝から夜中まで「寝る間も惜しみ」働いた結果は、JA相馬のブロッコリー部会長を務めるなど認められるようになりました。27歳と28歳のときにJA相双の「特別賞」を受賞しました。
昨年4月から養鶏を始め、「相馬ミルキーエッグ」と名づけて都内の飲食店に卸しています。相馬ブランドの名産品にしました。
鶏舎内に百数十羽を放し飼いし、日中は野外に出します。1日80個の卵を産むようになりました。自然の草や地元野菜などを中心に独自に工夫した飼料で育てた自然卵です。
■希望の種つなぐ
将兵さんの挑戦は今年も続きます。
相馬市が唯一、市の野菜として扱っていた在来種と呼ばれる幻のサトイモ、「相馬土垂(そうまどだれ)」を復活させることです。20年前にはもう誰が持
っているかさえわからなくなっていた伝統野菜です。「これを見つければ相馬市で有機栽培をやることに大きな希望が見いだせる」
昨年10月、「相馬土垂」を栽培していた経験のある人が分かりました。11月25日には、ついにその特徴に合うサトイモの種を相馬市の隣の新地町で見つけました。「何十年も前に相馬市の親族の農家から譲り受けた」そうです。栽培していた経験のある人にこのサトイモを見てもらうと、「間違いないと思う」と言いました。
「今年、この種を自分の畑に植えて、確認してもらおうと思っています」と将兵さん。「何年かかっても、必ず相馬市の伝統野菜を復活させる。復活させたら、守りぬいて、次の世代にしっかり渡す。それがやれたら、僕は相馬市の農業は復興したと叫びます」
有機栽培にも挑戦中の将兵さん。自然の中で育った鶏のフンが肥料となります。「養鶏を成功させることが、有機栽培のカギとなります。うちの卵を多くの消費者や飲食店に知らせていきたい」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2016年1月25日より転載)