台湾では市民らの反対運動で、2014年4月に原発の建設停止が決まりました。1月16日投票の総統選でも原発問題は重要な論点。市民らは完全な建設中止と脱原発を求めてたたかい続けています。
(台北=小林拓也)
台湾は80年代までに、3カ所に計6基の原発が建設されました。1987年に戒厳令が解除され、民主化運動が盛り上がる中、4カ所目として計画された第4原発に反対する運動が始まりました。環境保護団体らが呼びかけ、毎年1万人規模のデモを実施するなど、政府への圧力になりました。
2000年の総統選で、原発を推進してきた国民党が敗れ、原発反対を掲げる民進党政権が発足。原発建設中止を決めました。しかし、わずか3カ月後に国民党が多数を占める立法院で建設継続を求める決議が採択され、民進党政権は建設を再開してしまいます。
福島から学んで
2011年3月11日の東京電力福島第1原発事故をきっかけに反原発運動は新たな盛り上がりをみせます。当時、第4原発は完成まで96%という瀬戸際でした。各地で反原発デモが実施され、参加人数も急増。2年後の13年3月9日のデモには、台湾全土で22万人以上、台北だけで12万人が参加し、「福島を繰り返さない」と訴えました。
環境保護団体「緑色公民行動聯盟」の崔愫欣事務局長は「日本は台湾に近く、関係も深く、人的交流も多いため、すぐに事故の重大性を感じた」と言います。台湾北部の第2原発から30キロ圏内に台北市が位置し、事故が起きれば540万人に影響が出るという事実が、台湾の人々を行動に駆り立てました。
14年4月下旬、原発反対を求める市民らは総統府前の道路を1週間にわたり占拠。4月27日には交通の要である台北駅前の8車線の大通りを5万人で15時間占拠しました。直前に発生した立法院占拠の,「ヒマワリ学生運動」とも連携し、政府に大きな圧力を与えました。馬英九政権は同日、第4原発の暫定的な建設停止を発表しました。
市民が監視する
16日投票の総統選では、国民党は段階的に原発を廃止、民進党は原発に反対など温度差はありますが、両党の候補者が反原発を表明しています。崔事務局長は「どの党が政権についても、市民が監視する必要がある。第4原発の完全な建設中止と、既存の原発廃止を勝ち取るまで圧力をかけ続ける」と語ります。
崔事務局長は日本の状況について疑問を口にします。「日本にも大規模な反原発運動があるのに、なぜ政府は原発を再稼働させるのか、台湾の人々には理解が難しい」。その上で、「日本の運動は、1年以上にわたり稼働原発ゼロを実現した。これは原発ゼロの社会が存在できることを示し、台湾の人々に勇気を与えた」と強調しました。
(「しんぶん赤旗」2016年1月11日より転載)