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“つなぐ明日へ−2016”2度の原発被害 国・東電とたたかう・・親子3人 この地で希望を

福島・西白河郡西郷村 浪川 修さん(56)
スウィトラーナさん(42)
レイラさん(12)

 冷たい政治のもと、手をつなぎあって懸命に生きる人々の姿を追いました。

「国に勝ちたい」と新年の抱負を語る浪川さん一家
「国に勝ちたい」と新年の抱負を語る浪川さん一家

 「3人で日本百名山のどれかに登りたい」。福島県西白河郡西郷(にしごう)村の浪川(なみかわ)修さん(56)、妻のスウィトラーナさん(42)、娘のレイラさん(12)親子の2016年の夢です。

 会津駒ケ岳、燧ケ岳(ひうちがだけ)。数々の名山のある福島県。「自然豊かな古里の山々を親子で満喫したい」

チェルノブイリ

nisigou ウクライナ出身のスウィトラーナさんは、東日本大震災の体験したことのない大揺れにパニックになりました。続いて起きた東京電力福島第1原発事故は、故郷で体験したチェルノブイリ原発事故を想起させられ、不安になりました。チェルノブイリ原発事故当時は13歳でした。

 西郷村は第1原発から約80キロ。村の西に那須連峰があり、山にぶつかった放射性物質は西郷村に降り注ぎました。村全域が阿武隈(あぶくま)川の上流域にあたり、釣り好きの浪川さんは「いまだに禁漁になっている」と原発事故がもたらした自然破壊に怒ります。

 娘のレイラさんは「3・11」当時8歳。スウィトラーナさんは「娘の健康と命」を第一に考えました。ウクライナ大使館は、3月12日未明にスウィトラーナさんの携帯電話に電話をしてきました。安否確認と原発に関する情報を継続的に伝えるとの連絡でした。

 3月17日未明に再び連絡があり、成田空港からウクライナ行きのチャーター便が出る、乗るならば成田空港に来るようにと言われました。妻と娘が成田空港に着くと、空港は帰国する外国人であふれていました。

 浪川さんは、別れに際して「お父さん!」と叫んだ娘の声が耳に残りました。1人残った孤独と寂しさに「自殺も考えた」といいます。スウィトラーナさんは、ウクライナに戻ったものの、レイラさんがホームシックにかかり、半年後、帰国しました。

 「娘に被ばくさせないために気をつける日々」で、親子は強いストレスにさらされました。そんなとき、アルゼンチンに住むスウィトラーナさんの姉から避難して来るよう声がかかり、妻と娘は、今度はアルゼンチンヘ避難しました。

 2カ月すぎたころから、レイラさんは「福島に帰りたい。寂しい」と言うようになり、二重生活の経済的負担も増え、帰国を決めました。レイラさんは「ウクライナでは口シア語、アルゼンチンではスペイン語。知らない言葉を死に物狂いで覚えました」。

訴訟の原告に

生業(なりわい)訴訟の集会に参加した浪川さん(右端)。マイクで訴えるのは中島孝原告団長=福島市
生業(なりわい)訴訟の集会に参加した浪川さん(右端)。マイクで訴えるのは中島孝原告団長=福島市

 親子3人は「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告に加わりました。「日本政府に失望した」からです。

 レイラさんは「自分の国に戻れないことがつらかった。孤独でした。原発はなくていいです」と断言。スウィトラーナさんは「日本は世界一の科学技術を持っています。再生可能な自然エネルギーにも恵まれています。原発を再稼働する必要はないです。原発ゼロは正しい」と言います。浪川さんは、「国や東電はきちんと責任をとってもらいたい」と。

 親子3人は「国と東電に勝って希望をつかみたい」と福島で生きる決意をしています。

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2016年1月1日より転載)