マリンパル女川おさかな市場
「女川名物のサンマの昆布巻きはいかがですか・・」。宮城県女川町の「マ
リンパル女川おさかな市場」に威勢のいい声が響きます。
地元で水揚げされた鮮魚や水産加工品を扱う同市場。2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けましたが、同年10月に場所を移して6店舗で再開しました。
サンマの昆布巻きを製造販売する「マルキチ阿部商店」の阿部すが子さん(65)は、加工場も自宅もすべて津波で失いました。「絶望的な気持ちになったけど、創業以来の昆布巻き作りを再開して、地元の復興に役立ちたいとがんばりました」。
おさかな市場は、全国から訪れる観光客も増え、活気を取り戻してきました。2月は「あんこう祭り」、3月は「かに祭り」など月例イベントで無料サービスするおいしい汁も好評です。
「みんなで力を合わせて少しずつ前に進んできた」という阿部さん。
「いま心配なことは、(東北電力の)女川原発が再稼働されようとしていることです。せっかく復興してきているのに、原発でもし何かあれば・・。絶対にやめてほしい」
気仙沼女子高最後の卒業式
東日本大震災後の入口減少などのため、今年度で閉校する宮城県気仙沼市の私立気仙沼女子高校で3月3日、最後の卒業式がありました。震災後の2011年4月に入学した18入が校歌を斉唱し、母校に別れを告げました。
生徒会長の菅原綾善さん(17)は「入学当初は不安もあったが、卒業できてうれしい。将来は気仙沼の復興に貢献していきたい」。三浦麻衣さん(18)は「人数が少ない分深い関わりが持てた」と笑顔で話しました。式の後には、これまでの卒業生らも参加して閉校式が行われました。
同校は1969年に気仙沼家政高校として開校し、ピーク時には600人以上の生徒がいたといいます。しかし、少子化や震災後の人口減少などで生徒が確保できなくなったとして、2011年夏に閉校を決めていました。
震災関連死2900人超・・福島突出「直接死」上回る
東日本大震災の発生後、避難所や仮設住宅で体調を崩すなどして死亡した「震災関連死」の数が岩手、宮城、福島の3県で2900人を超えました。東京電力福島第1原発事故の影響で住民避難が続く福島の人数が突出。震災の2年後に死亡する例もあり、県のまとめでは2月26日現在で1664人に達し、地震や津波による直接死(1603人)を上回りました。
関連死は1月末現在、岩手が434人、宮城879人。増加ペースは鈍化していますが、福島の原発周辺市町村を中心に、震災から3年たつ今も認定申請が続きます。南相馬市では、2年経過後に死亡した4人が新たに認定されました。
原発事故の影響で、福島県内外には13万6000人が避難し、うち2万8000人が狭い仮設住宅暮らしを強いられています。県避難者支援課の担当者は「避難生活の長期化で先が見えないことへのストレスや、生活環境の激変で持病が悪化したケースが多い」と話します。
復興庁によると、昨年(2013年)9月末時点の3県合計2862人のうち、9割を66歳以上の高齢者が占めました。また、震災発生後1年を過ぎてから死亡した割合は、岩手、宮城が3%以下にとどまるのに対し、福島は255人と16%に上りました。
時間の経過とともに、関連死認定が難しくなっている課題も浮かびます。「生活がようやく落ち着き、遺族が申請できるようになった」(南相馬市の担当者)ため、震災直後などに死亡したケースの申請もあります。しかし、被災直後の行動に関する遺族の記憶が薄れたり、必要書類を紛失したりして「申請を断念する例もある」(同)といいます。
同県の担当者は「無制限に何でも認定するというわけにはいかない。死亡時期が古くなればなるほど震災との因果関係の立証は難しくなってくる」と話しています。
震災関連死・・・1995年の阪神・淡路大震災で初めて指摘されました。明確な定義や基準はなく、政府は負傷の悪化や避難生活のストレスで体調を崩すなどして死亡し、災害弔慰金の支給対象と認定された事例を関連死としています。うつ病による自殺なども含まれます。審査は自治体が行い、主たる生計者に500万円などが支払われます。東日本大震災では、東京電力福島第1原発事故の避難長期化のほか、津波被害による低体温症、寒い避難所で長期間過ごしたことなどによる肺炎の死者が多い。