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苦難の日々 冊子に・・被害者原告団団長 今野秀則さん(68)

ikiru15-10-18 「放射能で汚された古里を元に戻してほしいという、きわめてまっとうな要求をしている。被害の実態を全国に発信していきたい」──。福島県浪江町津島地区から本宮市に避難している今野秀則さん(68)は、国と東京電力に対して原状回復と損害賠償を求めて(2015年)9月29日、福島地裁郡山支部に提訴しました。

 32世帯、116人の第1次提訴で、最終的には700人の集団訴訟になる予定。今野さんは福島原発事故津島被害者原告団長です。

■後押してくれた

 「個人なら踏み込まなかった。同じ方向を見ている人たちがい邑ことが提訴の後押しになりました。

 今野さんたちは、昨年3月、冊子『3・11 ある被災地の記録 浪江町津島地区のこれまで、あのとき、そしてこれから』をまとめました。

 「記録しておかないと津島は地図の上からも消え去ってしまう。考えたくはないが、地域社会そのものが消滅する恐れが非常に大きい」との危機感からでしたでした。

 冊子は、16人が自分の半生と古里への思い、原発事故で体験した苦難の日々をつづっています。

 行政区長でもある今野さん。2011年3月15日、行政区50戸の住民の安否確認と避難を呼びかけて回りました。その時の日記には「地区内全戸を回るが、ガソリン残量が目に見えて減り不安になる」とあります。

 「人と人のつながりが絶たれ、地域の伝統、慣習、民俗、芸能など洗いざらい失われてしまうことへの侮しさが胸を締め付け、やり場のない怒りがあふれる」と書きました。

 11年10月には集落の全員と連絡が取れました。牛を飼っている人はしばらく津島に残りました。「寝たきりの人、障害者など、いわゆる災害弱者の人たちは大変なことがよく分かりました」と当時を振り返ります。

■新憲法で育った

 「津島ではみんなが顔見知り。親密な交流を保ちながら暮らすことが生きがいでした。それが仮設でポツンとなんの楽しみも持てなくて寂しい思いをしています。よっぽどのことがなければ裁判など考えることはないのです」と語ります。

 同志社大学で法律を学びました。1947年生まれの「新憲法で育った世代」。「原発事故で人権が奪われている状況が今も続いています。『原発事故が収束している』などと言えるはずがありません」と怒ります。

 「政府の役割は脱原発に踏み出すことです。『3・11』前に引き戻すなど私には理解できません」と、川内原発を皮切りに全国の原発の再稼働をすすめようとしている動きに強く抗議します。

 「人権が顧みられない流れを止めて憲法が大切にされる社会にするたたかいです」 

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2015年10月18日より転載)