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“福島に生きる”戦争展に込めた思い・・梁川町9条の会 阿部とし子さん(64)

戦争展に展示した父親の持ち帰ったアルミ製のコップを示す阿部さん=福島県伊達市
戦争展に展示した父親の持ち帰ったアルミ製のコップを示す阿部さん=福島県伊達市

 福島県伊達市梁川(やながわ)町に住む阿部とし子さん(64)は、梁川町9条の会の結成を心待ちにしていました。保原町や国見町など周辺の市町村には9条の会が結成されているのに梁川町はまだだったからです。

 結成の呼びかけ人になりました。7月6日に結成にこぎつけました。9月12、13の両日、結成を記念して「2015年 やながわ平和のための戦争展」を開きました。

■アルミのコップ

 この[戦争展]に阿部さんは、父親の安藤三治さん(92)が抑留されたシベリアから持ち帰ったアルミ製のコップを展示しました。酷寒の地で三治さんの命をつないだコップです。

 三治さんは、記憶も薄れてきて戦争体験を体系立てて語り継ぐのは困難になっています。記者と、とし子さんとの話を聞いていた三治さんは「勝ってくるぞと勇ましく」と軍歌を口ずさみ「ウソばっかりだ」とポツリといいます。「『天皇陛下のため』などといって、とんでもない戦争だった」と語ってくれました。

 満州(中国東北部)からシベリアに抑留された旧日本兵などは、約60万人と推定されています。強制収容所などに収監されました。凍りつく厳しい気候、食糧の不足、住居の不備、衛生施設の不良などの劣悪な環境に加え、過重な労働、病気の流行により想像を絶する辛苦をなめ、多数の人々が生命を失いました。

 三治さんは「シベリアに3年半抑留させられた」と話します。

 戦後帰国した三治さんは日本共産党に入党しました。とし子さんは、このため「アカだ」とはやし立てられて「イスに画びょうを置かれたりしていじめられた」と子どものころを振り返ります。

 三治さんの戦争体験を聞かされて育った、とし子さんは「子どものころから人を殺(あや)める戦争は絶対反対」でした。

 今回、戦争展を成功させたのを機会に「毎年一度は(戦争展を)開きたい」と抱負を持っています。

■再稼働に審判を

 国会で憲法違反の戦争法案が審議されると「通ってからでは遅い。みんなに応援してもらおう」と反対の署名を集めてきました。

 「(父親は)間違っていない」と確信しているとし子さん。「安倍首相は戦争法を強行し、原発再稼働と二つの暴走を実行しました。衆院を解散して国民の信を問い、戦争法を廃止させます」と話しています。

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2015年10月4日より転載)