福島市に住む高田典子さん(70)は、長崎市で開かれた原水爆禁止世界大会に今年初めて参加しました。
福島県原水協の石堂祐子事務局長から「被爆70年です。参加しませんか」と勧められて参加することになったのです。
■17歳で聞かされ
高田さんは、父親が軍人で中国の上海で生まれました。終戦直前の7月、母に抱かれて実家の長崎市に着きました。生後9ヵ月で被爆。17歳になったころ、長崎で語り部として活動してきた伯父の森幸男さん(故人)から手紙などで聞かされて知りました。
被爆者手帳を取得したのは1991年になってから。森さんは「あなたが最後の年の証言者だ。分かんなくなると困るから生きているうちに、典ちゃんに伝えておく。典ちゃんも年をとって病気になるから手帳を取りなさい」と諭しました。
以前、親には「嫁に行けなくなる」と反対されました。「長崎県出身と聞くだけで引いてしまう。『原爆の人』だと逃げ出す人もあった」と、つらい体験から反対したのです。
「3・11」東日本大震災が起きた当時、高田さんには中学2年生、小学5年生、小学3年生の男3人の孫がいました。「孫たちの健康が心配」と、東京電力福島第1原発事故に心を痛めました。
自身が長崎と福島で2度、放射能にさらされていることについても主治医に聞いてみました。「こんなことになったのは初めてだから私たちにも分からない」と医師は言います。健康診断は欠かせません。
■被ばく者出さぬ
今回、福島県原爆被害者協議会の一員として世界大会に参加した高田さん。
5000人が集まった会場に、母が歌っていた「原爆を許すまじ」のメロディーが流れ、思わず口ずさみました。
「世界各国から来ている。日本の各地からも来ている」・・。感動しました。「思いは同じなのだ。これまで生きてきて良かった。勇気をもらった。自分は生かされている。元気で生きていこう」と誓いました。
「広範な人びとの共同の力で、『戦争法案』を必ず廃案に追い込みましょう」「憲法9条を活(い)かした非核平和の日本をつくりましょう」「川内原発はじめ原発再稼働に反対」
「原発からの脱却と自然エネルギーヘの転換を求める運動と固く連帯しましょう」・・。採択された決議に高田さんは心から賛同の拍手を送りました。とりわけ原発再稼働に反対する文言が決議文にあったことは「参加して良かった」と実感しました。
「被ばく者をこれ以上出したくありません。安倍首相は福島の仮設住宅で1カ月でも2ヵ月でも暮らしてみるべきです。ヒロシマ、ナガサキの犠牲を二度と出してほしくない。日本は憲法9条で戦争をしないと誓いました。戦争法案は廃案にすべきです」
高田さんは、世界大会の報告会で訴えています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年9月6日より転載)