大震災・原発事故3年を目前にした3月9日、福島市の市音楽堂で「福島で子育て中の家族集まれ! 音楽のつどい」が開かれ、音楽とトークで体験を語り、励まし合いました。
福島市医師会長で、わたり病院総院長の丹治伸夫さんが主催者あいさつ。第1部は、プログレッシブ・ロックの2人組ユニット「ZABADAK(ザバダック)」によるコンサートが行われました。
第2部では、ドイツ文学翻訳者の池田香代子さんと、同市渡利(わたり)在住で原発事故後の子育ての苦労や葛藤などの著作を出版した佐藤秀樹・晃子夫妻が対談しました。
池田さんは「福島の人たちは、(原発・放射能問題を)学び、知識をもってここに住んでいるんだなと思う。今言いたいことは何ですか」と質問。佐藤秀樹さんは「福島の子どもに我慢させてきたことがいっぱいある。このことは絶対に忘れないし、原発事故を起こした責任者は子どもたちに反省の姿をみせてほしい」、晃子さんは「福島の子どもたちにかわいそうな思いを二度とさせたくない」と語りました。
第3部では、福島高校ジャズ研究会のメンバーと大学教授たちがジョイントコンサートし、会場を沸かせました。立命館大学名誉教授の安斎育郎さんがトーク出演しました。
被災各地で追悼行事
東日本大震災から3月11日で3年を迎えるのを前に、被災した各地で9日、追悼式典が開かれました。
津波で壊滅的な被害を受け、1700人以上が犠牲となった岩手県陸前高田市では、会場の高田小学校に約1300人が集まり、黙とうしました。仮設住宅で暮らす佐藤テル子さん(75)は、消防団員だった長男の昇一さん=当時(47)=が体の不自由な高齢者をおぶって避難している時に津波に襲われたといいます。「今でも息子のことを思い出し眠れなくなる。息子のためにも一日一日を前向きに生きたい」と語りました。
700人以上の犠牲を出した宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。旧閖上小学校の校庭に「忘れない」などと描かれた1200個の桧灯籠が置かれ、海沿いの日和(ひより)山から小学校付近までは灯籠2300個を並べて、犠牲者を追悼する「光の道」を作りました。
津波が到達した午後3時55分に合わせ、遺族らが黙とう。30年以上同居していた義父を亡くした柴崎弘子さん(57)「3年たっても悲しみは癒えない。助けてあげられなくてごめんね」と手を合わせました。
福島県いわき市の追悼式に参加した小松純子さん(70)は「思い出したくない、忘れてはいけないと両方の思いがあり複雑だ」。
東京電力福島第1原発事故で避難が続く同県楢葉町役場の追悼式では、遺族ら約40人が追悼しました。現在もほぼ全域が避難指示区域に指定された町内は、除染業者のトラックが走り、地震で壊れたままの家屋も見られました。