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悲しみと怒りの中 東日本大震災 3年・・「被災地を忘れないで」復興へ公的支援もっと

愛する人よ 東日本大震災から3年の3月11日、津波で多くの犠牲者が出た宮城県南三陸町。津波の爪あとが残る防災合同庁舎跡地には、途切れることなく人々が訪れて献花、黙とうしていました。
愛する人よ 東日本大震災から3年の3月11日、津波で多くの犠牲者が出た宮城県南三陸町。津波の爪あとが残る防災合同庁舎跡地には、途切れることなく人々が訪れて献花、黙とうしていました。

1万8000人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災は11日午後、発生から3年を迎えました。各地では地震発生の午後2時46分、帰らぬ人たちを思い、遺族らが追悼しました。今なお約27万人が仮設住宅などで避難生活を続け、東京電力福島第1原発事故が被災地での生活再建に影を落とします。「政府は復興にもっと公的支援を」「被災地を忘れないで」――被災者の願いは切実です。
被災地の海岸や仮設住宅では海に向かい手を合わせる人々の姿がありました。多くの命と住まいを奪った大津波、自宅に戻ることすら許さない東京電力福島第1原発事故…。被災者は亡くした肉親をしのび、帰れぬ故郷に思いをはせました。

福島県いわき市久之浜町の久之浜海岸では地震が発生した午後2時46分にサイレンがなり、僧侶がお経をあげる中、町民が黙とうしました。

津波と火事で家を失い、避難生活が続く男性(73)は「復興住宅ができれば戻ろうと思うが、商店やインフラがどこまで戻るか心配。3年たっても何も変わってない」と話しました。

同県相馬市磯部地区では、被災者251人の名前が刻まれた追悼の碑の除幕式がありました。避難誘導中に殉職した消防団員の息子を持つ60代の女性は「3年間、毎日写真に手を合わせている。夢でもいいから会いたい」と涙をこぼしました。

宮城県南三陸町で職員ら43人が命を落とすなどした防災対策庁舎前。この場所で津波にのまれながら奇跡的に助かった同町職員(51)は「あっという間の3年だった。仲間のことを考えない日はない」と声を詰まらせました。「あなた方の死を決して無駄にしない。津波の教訓を全国に伝えていく」と誓ったといいます。

仙台市若林区荒浜。妻や両親ら5人を亡くした男性(59)は「子どもと仕事に救われたが、そうでなければつらかった」と話しました。

壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市田老地区。仮設住宅で1人暮らしの女性(82)は震災後初めて、高台にある寺に友人の墓参りに訪れました。「月日がたつほどに思い出し、悲しみや悔しさが出てくる。寂しい気持ちはそのまま」と言葉少な。花と飲み物を供え「また来るからね」と語り掛けました。

寄り添う取材さらに

「国は、被災者にあまりにも冷たい」。東日本大震災の3カ月後から節目ごとに本紙が実施している「被災者300人実態調査」(1回目は200人)。3年目の今回で6回目となります。記者が被災3県の仮設住宅などを訪ね、これまでに計1700人余の生の声を聞いてきました。

回を重ねるごとに、政治への怒りを口にする人が増えてきたことを実感します。

いまだに抜け出せない仮設暮らし。過酷な生活で体調を崩す人が増え、それもがんなど深刻な病を訴える人が目立ちます。復興への道はあまりにも遠い。

この苦境を思いやらず、公的支援をおざなりにする一方、消費税増税、環太平洋連携協定(TPP)参加、原発再稼働と、復興の妨げとなり、被災者の生活と生業(なりわい)を踏みにじる政府。苦しみと怒りは、私たちの心にも突き刺さります。

しかし、被災者はけっして絶望していません。宮城県では、仮設自治会会長らが立ちあがり、医療費免除を一部復活させました。原発再稼働反対のたたかいが広がっています。「共産党が一番寄り添ってくれる」との声も各所で寄せられます。

「被災者に心を寄せて」―。私たちは、この言葉を取材の心構えとしてきました。それは被災者に寄り添うと同時に、冷たい政治を告発し、復興への道をともに切り開くこと。そのために取材を続けます。

(東日本大震災取材班キャップ・森近茂樹)

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