「チャンスを与えられてやりがいを感じている」。福島県の「桑折(こおり)町ふるさと民話の会」会長の北澤浩さん(75)は、東京電力福島第1原発事故などをテーマにした大型紙芝居の公演活動に生きがいを感じています。
全町避難となった浪江町の仮設住宅が桑折町の工場跡地に作られました。
■紙芝居で伝える
「交流が始まり、着の身着のまま逃げた浪江町の苦難を知りました。体験を語る『浪江まち物語つたえ隊』と一緒に紙芝居公演を始めました」
福島にボランティアに来た、広島の地域に眠る物語を紙芝居にして発信している「まち物語制作委員会」の人たちが紙芝居作りに協力してくれました。
「見えない雲の下で」は浪江町の故佐々木ヤス子さんの随筆を描きました。原発事故からの避難の7日間をドキュメンタリーでつづっています。
「さえずりの消えた街の物語」は、自然豊かな桑折町の生き物が原発事故で姿を消した日のことを鳥の視点で振り返る紙芝居です。特産のモモが暴落し、生産農家は苦境にたたされました。
学校や児童館で公演していたことが評判になり、桑折町9条の会や国と東電に原状回復と損害賠償を求めている生業(なりわい)訴訟原告団からも公演の依頼が来るようになりました。
「大きな会場でやるようになりました」とこれまでの発展を振り返ります。
「桑折町には250を超える民話がある」といいます。「民話は今を生きる人たちに何かを教えてくれます」。そう考えて、ふるさと民話の会に参加しました。民話を発掘してきました。
■「あきらめない」
桑折町には「誇れるものがたくさんある」と胸をはる北澤さん。「日本一おいしいモモの産地の桑折町。そこには西根堰(にしねぜき)の存在があった」と北澤さんが教えてくれました。
この地域は、耕作が期待できる豊かな土壌でしたが、十分灌漑(かんがい)できないことが問題でした。江戸時代初期の1633年に完成した堰は、桑折町、藤田(現国見町藤田)を経て五十沢(いさざわ、現伊達市梁川町五十沢)までの約28キロメートルの農業用水路となりました。
江戸時代後期と末期に、陸奥国(むつのくに)信夫(しのぶ)・伊達(だて)両部(福島市周辺)にまたがり大百姓一揆が起きた地でもあります。
「紙芝居づくりは100本つくるということで始まった」と話す北澤さん。「今年は正念場だ」といいます。「大震災の記憶を風化させたくないとやっていますが、4年を過ぎて薄れてきています。それでも桑折の人はあきらめない。福島はあきらめない」と、各地をまわって公演活動に汗を流しています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年8月23日より転載)