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“福島に生きる”原発事故で廃業に・・トマト農家 生業訴訟原告 阿部幸夫さん(76)美代さん(75)

トマトハウスの前で完全賠償を訴える阿部さん夫妻=相馬市
トマトハウスの前で完全賠償を訴える阿部さん夫妻=相馬市

 「法務省も建てた」というのは、福島県相馬市玉野地区でトマト生産農家をやってきた阿部幸夫さん(76)です。

 田んぼ6反(約60アール)、畑3反(約30アール)の農家ですが、この地域の冬場の仕事は「出稼ぎにでる」ことでした。「都内や首都圏の建物の建設などに携わった」といいます。

■減反を強いられ

 この間、国から減反を強いられました。そのため、53歳のころ養豚業を始め、500頭飼っていました。

 ところが、右手を切断する事故にあい、「18年前からハウストマトの栽培を始めました。『実が堅くて糖度が高い』と消費者から評判」でした。

 妻の美代さん(75)はいいます。「市場に出す前から仲買人が先取りするほど人気でした」

 阿部さんは南米チリからトマトの種を取り寄せていました。「1000粒の種が入った袋を2袋、6万円で買っていた」といいます。

 植え付けまでは、「一晩水につけ、消毒した土に熱湯をかけて種を『すじまき』にする。3日で発芽。15日して育苗ポットに移します。2週間して定植する」

■原発事故で暴落

 夫婦で2000本の苗を7棟のハウスに移植し、丹精込めて育てて4キロ入り1箱2000円でした。それが原発事故後はわずか1箱300円。「箱代にもならない」。大暴落しました。

 「廃業するほかなかった」と阿部さん夫妻はいいます。

 相馬市玉野地区は、全村避難となっている飯舘村にも近く、「心配で放射線量を測ってきた」という阿部さん夫妻。2011年4月の記録を見ると家の東側で毎時19・82マイクロシーベルトありました。「現在でも底で6・8マイクロシーベルト、家の中で0・41マイクロシーベルトある」と、線量計で測って見せました。

 郡山市にいた息子の妻と孫は「北海道や新潟県、山形県と転々と避難しました。孫は今、4歳と小学校4年生。これからの孫たちが心配です」といいます。

 国と東京電力に原状回復と損害賠償を求めた生業(なりわい)訴訟の説明会の案内ビラが入り、参加。

 「何に頼ればいいのか」と先行きに不安を感じていた阿部さん夫妻は「生きていくには賠償しかない。何とか生活が困らないようにと裁判に加わった」といいます。

 「生活が苦しくなるだけの4年間だった」と振り返る阿部さん夫妻。「原発事故後、玉野は6戸なくなりました」と、集落が消滅してしまうと危機感を強めています。

 安倍首相は戦争する国にしようとしているが、福島をなんとか復興させて福祉をよくしてほしい。原発の再稼働には絶対反対です。私たちは人間らしく生きたいのです」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2015年8月9日より転載)

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