南相馬に引っ越して3週間が過ぎた4月24日の夕方のことです。
自転車で買い物から帰ると、玄関に白いチョークで×印がしてありました。
慌てて買ったものを冷蔵庫に入れて、家の周りを調べてみると、庭の各所にも×印がありました。雨樋(あまどい)の下に×印が多いので、放射線量の調査が行われたのだな、と思いました。
引っ越しの片づけに追われて線量を調べる余裕がなかったのですが、線量計で雨樋の下を測ってみると、1メートルの高さで0・3マイクロシーベルト、地表で1マイクロシーベルトありました。
その2日後の朝のことです。息子を高校に送り出した後、お弁当の残りをおかずにして朝ごはんを食べていると、庭にヘルメットとマスクで顔がほとんど見えない作業員たちが踏み込んできました。わが家の庭には柵がないので、外から自由に出入りできるのです。
そして、彼らはいきなり雨樋の写真を撮りはじめました。パジャマ姿のわたしは、箸を持ったまま彼らを見上げました。換気のために網戸にしてあったので、彼らの声がよく聞こえました。わが家の4匹の猫たちが伸ばした首を固くして、侵入者である彼らを警戒していました。
「雨樋の写真なんか撮るより、猫の写真撮りたいなぁ」と、作業員のひとりが笑いました。
「どうぞ」と反射的に言った自分の声がひどく場違いに響きました。
わたしは原発事故の1カ月後から、南相馬に40回ほど訪れています。「除染作業中」「道路除染作業をしています」の看板や、「農地除染」ののぼり旗のある風景は見慣れたものだったのです。
しかし、それを自分の家の中から見るとなると−−、体中の体液が凍り付くような緊張をおぼえました。
わたしたちが一日の仕事を終えて帰宅し、食事や入浴をして家の片隅に身を委ねて眠ることができるのは、その土地との信頼関係があるからです。その信頼は、個人の習慣や家族の歴史や地域の人々との付き合いによって培われたものです。
原発事故によって破壊されたものは数え切れないほどありますが、人と土地との信頼関係をどうやって復元すればいいのか−−。
先日作業員から受け取った「住宅・事業用建物等作業計画書」によると、わが家の除染前の空間線量率の平均値は、0・22マイクロシーベルト、除染作業予定日は5月上旬〜10月上旬だそうですが、7月3日現在まだ行われていません。
(ゆう・みり 作家 写真も筆者)
(月1回掲載)
(「しんぶん赤旗」2015年7月6日より転載)