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“福島に生きる”“世の中は動く”を実感・・元の生活かえせと訴える 矢吹道徳さん(67)

 

副団長の矢吹さん
副団長の矢吹さん

 戦争が終わった直後の1947年生まれの団塊の世代です。

 地元の磐城高校を卒業後、仙台市の東北大学で教育行政・教育法を学びました。

 「研究者になるのが希望」だったそうですが、田・畑1町歩(約1ヘクタール)を耕す農業をしていた父親が1969年に倒れたために長男の矢吹さんは、いわき市職員になりました。教育委員会総務課、商工課などに24年間勤務しました。

 94年に浜通り医療生協の経営再建のために市職員を退職し、専務理事に就任しました。同医療生協の設立は67年。「親身になって病気を診てくれる病院を私たちの手でつくろう」と、市民の願いを持ち寄って完成しました。「心の通いあう医療」をめざします。

 専務理事を務めた後、現在、副理事長を務めています。

 「医療生協での仕事は人との出会いを広げました。医師不足で大変でしたが看護師をはじめ、みんなでよく頑張りました」

■患者守るが第一

 「3・11」直後には、「入院させてほしい」という依頼が携帯電話に殺到しました。15日を過ぎると「逃げないでいいのか」という問い合わせに変わりました。「職員の皆さんは、患者を守ることを第一にして病院にとどまりました」

 矢吹さんの住む地域は農村地域で、各戸に井戸があり、震災直後には一軒一軒訪ねて、「水が使えます」という張り紙をさせてもらい、被災者が水を使えるようにしました。

 2013年1月、「あやまれ、つぐなえ、なくぜ原発・放射能汚染」「子どもたちが安心して生活できる福島に」と、「元の生活をかえせ、原発事故被害いわき市民訴訟原告団」(伊東達也団長)が結成されて、副団長になりました。

 訴訟を通して被害者救済の政策形成を実現することに目標を置いた裁判です。

 五つの政策は①すべての被災者に生涯にわたって健康を維持するための適切な施策を確立し、実施する②生涯安心して治療できる公的支援策を確立する③3・11以前の状態に復元する取り組みを行う④福島原発10基の完全廃炉⑤放射能汚染についての基礎的知識について、学校教育をはじめ社会的普及をはかる支援策を確立する・・。

■たたかい本流に

 矢吹さんは強調します。「東京電力の経営陣は一切責任をとっていません。絶対に退陣すべきです」「責任を取らなかったならばまた事故は起きます」と危惧します。

 「世の中は動くのだということを実感したダイナミックな3年10カ月だった」と振り返る矢吹さん。原告数は約1500人になりました。「″オール福島″で原発の廃炉を要求している。再稼働など福島の教訓をまったく国は学んでいない」

 「市役所の時は、昇任・昇格で同期と大きく差をつけられましたが、仕事を通じて知り合った商工会議所会頭に、『おまえは役人らしくない』と評価され、退職時には、『励ます会』の発起人を務めてくれました」

 矢吹さんは「私たちのたたかいは原発事故後の本流になります」と胸をはります。

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2015年2月3日より転載)

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