福島県広野町は原発事故から1年で町による避難指示が解除され、帰還の先行例になると期待された町でした。
その町がいま、課題に直面しています。
遠藤智町長は、「新しいまちづくりをするのは、非常に苦しい。町民の望みと復興事業でやっていることに乖離(かいり)がある」と打ち明けます。
町が進めている復興計画には、住民の生命や財産を守るという自治体本来の役割のほかに、もう一つの側面があるというのです。
■原発企業の要請
それは、原発関連企業の要請にこたえて、「廃炉に向けた都市機能をつくる」(遠藤町長)というものです。
いったい何が起きているのか─。
広野町を訪ねると、巨大なプレハブの作業員宿舎があちこちに建てられています。鹿島建設、前田建設工業、大成建設・・。
仮設宿舎で暮らす原発除染作業員は、町の調査で2100人超といいます。民宿などを合わせると、およそ3000人です。
一方で、町に戻った町民は人口の3分の1、1679人(書類で手続きした分)にとどまっています。
町民よりも作業員が多い町─。この現実は、広野町の未来像を大きく変えました。
町は、事故収束や廃炉に向けた拠点の役割を積極的に引き受けることを復興計画で定めました。
企業を入居させるための高層ビルや、作業員宿舎をJR広野駅東側に「復興のシンボル」として整備する計画です。すでに民間企業1社が高層ビル開発に名乗りをあげています。
地縁のない人を大量に受け入れることへの不安にこたえるとして、「警察機能の強化」まで復興計画に盛り込みました。
■暮らせる条件は
町民はこの計画に激しく反発しています。
町での生活を取り戻そうとしている木幡(こはた)勝廣さん(71)は、
「おれらは、高層ビルに期待していねえ。あれは町民のためのものじゃない」といいます。
開発が進む一方で、町で唯一のスーパーは閉鎖したままなど、町民が暮らせる条件は整っていません。東電による町民への賠償はすでに打ち切られ、「遠くまで買い物に行くのでガソリン代がかさむ」など、経済的困窮も進みます。
遠藤町長も「町民に理解されていない」と、開発事業への批判や生活支援を求める声が強いことを認めます。
そのうえで、収束・廃炉の拠点自体は「どこかに必要なもの」だといい、いずれはより原発に近い楢葉町、富岡町へと北上していく共通の課題だとします。
原発事故は、避難指示の解除後も長期にわたって住民のための復興を阻害するのです。
福島県の復興計画策定委員会で委員長を務めた鈴木浩・明治大学客員教授は、原発事故で避難を
強いられた町村の復興の現状を、「さまざまな課題があることがようやく理解されてきたが、それらの課題の政策化と対応はまだ十分ではない段階」とみています。
そして、町の復興に困難があるからこそ、「一人ひとりの復興」を重視し、生活支援を強めることが大事だと指摘します。
(おわり)
(「しんぶん赤旗」2014年9月30日より転載)