※3月14日夜から15日にかけて、2号機の原子炉は、消防車によって注水しても圧力が下がらず、危機的な状況が続いていたため、退避を検討していました。
─協力企業の人たちは帰ったのか。
「廊下にいる人はほとんど帰った」
─東京電力の社員はどうか。
「■■君という総務の人員を呼んで、これも密(ひそ)かに部屋へ呼んで、何人いるか確認しろと。(中略)うちの人間は何人いるか確認しろ。特に運転・補修に関係のない人間の人数を調べておけと。本部籍の人間はしようがないですけれどもね。使えるバスは何台あるか。(中略)運転手は大丈夫か、燃料入っているか、表に待機させろと。何かあったらすぐに発進して退避できるように準備を整えろというのは、(中略)指示しています」
「(2号機に)水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。(中略)プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころの話ではないわけですよ。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、我々(われわれ)のイメージは東日本壊滅ですよ」
※15日5時半ごろ、菅首相らが東電本店対策本部を訪問し、事故対策統合本部の立ち上げを宣言します。
─首相がテレビ会議に映る場所に来た。
「清水社長とか、勿論(もちろん)、勝俣会長以下、常務以上だと思うんですが、(中略)そこで菅さんが、何でこんなにたくさん集まっているんだと」
─あったかどうかの確認だが、″撤退はない″とか″命を賭けて下さい″とか。
「それは言っていました」「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども、最悪のことを考えて、これからいろんな政策を練ってくださいということを申し上げたのと、関係ない人間は退避させますからということを言っただけです」
(つづく)
(「しんぶん赤旗」2014年9月24日より転載)