9月11日に公開された政府事故調査・検証委員会による東京電力福島第1原発の吉田昌郎(まさお)所長(故人)の聴取結果書(「吉田調書」)。世界最悪レベルの原発事故の現場責任者の証言を状況ごとに紹介します。肩書は当時。質問者の質問は簡単にし、( )内は補足しました。
2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生。同15時27分に第1波の津波が福島第1原発を襲います。
-地震の後、運転中の原子炉の冷温停止に向け、危惧感を持っていたか。
「DG(非常用ディーゼル発電機)が動いたので、とりあえず電源はあるなと、ほっとしたんですね。こんな大津波が来るとは思っていないんですけれども、当然、地震によって津波が来る可能性があるんで、そうすると、海水系のポンプが水で、かぶる方への、引き波の方が我々(われわれ)は怖いんですけれども、引いて、水を供給できなくなってしまうということで、海水系の冷却源が使えなくなってしまうなと」
-津波が来たことは、その時点ですぐにわかるものなのか。
「わかりませんでした、私は」
-どうやって把握したのか。
「そのときに、海の監視用のテレビなどというのもこちら側になかったんです」「異常が起こったのは(15時)37分の全交流電源喪失が最初でして、DG動かないよ、何でだという話の後で、津波が来たみたいだという話で、だんだんそこに一致していくんです。この時点で、えっという感覚ですね」
-全交流電源喪失の報告を受けて、どうしようと考えたか。
「これは、はっきり言って、まいってしまっていたんですね。私自身がですね」「津波によって水没かどうか、その時点でわかりませんから、DGを生かせられないかとまず考えるんです。それがなくなったらどうしようと。アイソレーションコンデンサー(IC、1号機の非常用復水器。電源を使わずに炉心を冷却する)とか、RCIC(非常用炉心冷却装置)があれば、とりあえず数時間の時間幅は冷却ができるけれども、次はどうするんだということが頭の中でぐるぐる回っていた」
吉田調書からは、地震と津波に襲われた福島第1原発で何が起きているか、誰も正確につかめないまま事態がどんどん深刻化していく様子が浮き彫りになっています。
(つづく)
(「しんぶん赤旗」2014年9月13日より転載)