教師の経験もある健康運動指導士の池内弥生さん(48)は、今年5月に埼玉県狭山市から福島県に移住してきました。「後悔をしない生き方をしたい」と、福島に骨を埋めるつもりでいます。
3年4カ月前の東日本大震災の映像を見たとき、「あんなことをやりたい、こんなことをやりたいと思っていた、たくさんの命が消えていく」と、涙が止まりませんでした。「何かしなければならないという抑えることのできない衝動に襲われました」
宮城県石巻市や福島県いわき市などで支援活動に参加してきました。
福島県以外では復興は進んでいるように感じられましたが、「福島は3年前のままで残されている」と思われました。「片手間でなく本格的に支援に携わるには仕事を手放さないとできない」と感じるように。
中学校の保健体育の教師の後、特別支援学校に6年間勤めてきた池内さんを夫が「やりたいならばやれば」と、福島移住を後押ししてくれました。別居しての福島移住でした。
健康運動指導士の仕事は、個人の心身の状態に応じて、安全で効果的な運動計画を作成して指導を行うことです。
「私のできることは体操を教えること」。池内さんが目標としていることは、福島の子どもたちに見られるバランスが取れない、転びやすく不器用、肥満気味といった状態を改善させることです。
「当たり前に作り、食べること、地元の野菜をいただけるのか」「外遊びや親子体操ができるのか」。放射能のことについて自分で見解を言えるように勉強をしていかないといけないと痛感している毎日です。
伊達市霊山町にある「りょうぜん里山がっこう」に所属し、12力所の学童保育でスポーツ指導員として活動しています。
「福島の子どもたちが東京オリンピックに出場できるようにしてあげたい」と、夢見ています。
池内さんは、小学生のとき不登校でした。学校が大嫌い。学校に行こうとすると熱が出たり、胃が痛くなりました。不安に感じた父親が朝、一緒にマラソンをしてくれました。学校での大会で3位に入賞。学校に行けるようになりました。
中学生のときは、担任の教師がバレーボール部の部長にしてくれました。「良いところを引き出すことのできるこういうおとなになりたい」と思いました。その後、教師になりました。
福島原発事故は「40年間では終わらない負の遺産を残した」と考える池内さん。「今のおとなたちがやり残したことを引き継いでくれる子どもを育てたい」と思っています。「子どもを育てることは40年先の未来を育てること」と考えるからです。
原発事故の収束さえできていないなかで再稼働や海外輸出の動きに絶対に許すわけにはいかないと思う池内さん。「人間に手の負えないものを動かすべきではありません。人間の命のほうが大切ですから」と安倍内閣の姿勢を批判します。
福島に移住して約3ヵ月。「自分のことを待ってくれている子どもだちと巡り合えた。幸せです」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年7月20日より転載)