「知の巨人たち」第1回は、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹と、その共同研究者・武谷三男を中心に、戦後の原子力政策と向き合った科学者たちの姿を太く描きます。2人の戦後の原点は、核兵器開発に参加させられたことへの塹愧(ざんき)の念と、「真理の探求は人類のため」という信念でした。
戦後、米ソ間の核丘器開発競争が激化します。1954年、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で第五福竜丸が被ばく。「原子力の猛獣を人間は制御できない」。湯川は、畏友アインシュタインらと核兵器廃絶運動に力をいれます。
一方、原発建設の動きも強まり、56年に湯川は発足した原子力委員会の委員に就任します。原子力平和利用を期待したこともある湯川ですが、あくまで基礎研究重視を主張。原発導入にひた走る政治の流れの中で、委員を辞任します。武谷は原子力研究での「公開・自主・民主」を提唱し原発建設に警鐘を鳴らし続けます。
「社会に対する科学者の責任」を胸に思索、行動した2人。その軌跡は、3・11の福島第1原発事故と、それ以降の日本と知のありようを照らします。(荻野谷正博 ライター)
(「しんぶん赤旗」2014年7月5日より転載)