
福島県川俣町に住む遠藤正芳さん(67)は、阪神・淡路大震災と東日本大震災の二つの大震災を経験しました。
阪神・淡路大震災のときは、京都府宇治市にいました。震度5。自宅は大丈夫だったものの、京都府下では家屋に被害を出すところもありました。
■救援に駆けつけ
「神戸が大変なことになっている」ことを短り、当時働いていた機関紙協会の調査活動に参加。大阪、神戸の被災現場に入り、救援にも駆けつけました。
遠藤さんは、父親が軍人だったことから中国で生まれました。6歳のとき、父親の実家がある川俣町に帰国。京都の大学に進学する18歳まで暮らしました。
「山で遊んだり、川で魚とりなどで遊んだ。自然豊かな古里の川俣町は母の懐のように温かなものでした」。
大学では、寮や学生自治会の民主化のために活動。卒業後は、機関紙協会や借地借家人組合の専従事務局長など民主団体の事務局で活動しました。
定年を迎え、高齢になった両親の介護のために川俣町に帰ったのは、東日本大震災の約3カ月前。「2010年12月30日に古里に着きました」
「3・11」、激しい揺れに見舞われました。屋根瓦50枚が崩れ落ちましたが、家屋の損壊は免れました。
阪神・淡路大震災の経験から大津波に襲われた南相馬市と相馬市に駆けつけて仮設住宅に毛布など救援物資を届けたり、相談活動に携わりました。
■原発がなければ
南相馬市小高区で、原発事故の特別に深刻な被災実態を目の当たりにしました。「死の街でした。時間は止まり、人は戻れません。原発がなければ復興はもっと早かったはずです。うかつでしたが、福島に原発があることも忘れていました」
浜通りの沿岸部の被災者が川俣町に避難してきました。ところが町には山木屋地区など放射線量の高いホットスポットもあります。
山木屋地区は、計画的避難地域となり避難生活を強いられることになりました。13年12月、山木屋地区35世帯、142人が、今年5月21日、第2陣35世帯、119人が福島地裁いわき支部に提訴し、東京電力の責任を追及しています。
遠藤さんたちは、この訴訟とは別に東電と国も被告に加えて原状回復と損害賠償を求めた生業訴訟にも加わりました。
「原発事故の恐ろしさ、理不尽さ、被害者の怒りを知らせたい。原発事故で壊れた地域共同体を再生させたい。そのたたかいのために運動に加わりました」
遠藤さんは生業訴訟を「自分に残された人生の最後のたたかい」と位置づけています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年6月14日より転載)