看護師になって40年の八代明子さん(67)=福島市在住=が今一番気になることは、仮設住宅で暮らす避難者たちの健康悪化です。
「夜眠れない」「動悸(どうき)がする」「血圧が高い」。福島医療生協で取り組んでいる仮設住宅での医療相談で出される悩みです。
狭い仮設住宅で暮らすことでのストレスからくる健康被害の実態が見えてきます。「集会所で相談に応じていますが、集会所に来られない人や、来ない人のことが心配です。孤立死の危険性があるからです」と言います。
「何かしないと」
昨年(2013年)3月、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告になりました。原告団での学習会で原発事故の理不尽さをまなびました。「何かしないと福島が忘れ去られてしまう」。危機感を持ちました。原発ゼロをめざす福島金曜行動に参加しました。
同年7月、安倍政権が参院選挙政策で原発の再稼働の方針を打ち出したことから、「福島の声を発信し続ける」と、若者と一緒に行動しています。
「低線量による被ばくが将来なんの影響もないのだろうか?そうしたことが解明されていないのに両稼働など絶対に反対です。ぜんそくやリウマチの持病があり、体調をみながら声をあげています」
看護師になった動機は、医療事務の仕事をしていた時、人回の命を救うこととはどういうことなのかを知って感動したことでした。
「人間と向かい合える。魅力がありました」
看護学校に入るために鹿児島県から上京。看護学を学び看護師の資格を取得しました。旧東京都立養育院に勤務しました。
同養育院には訪問看護部がありませんでした。患者さんのなかに気になる人がいました。
「許可をもらって個人的に訪問看護をしていました。肺気腫の患者さんがいて、『亡くなる前に故郷の広島に帰りたい』と言っていました。ボランティアで広島まで連れて行きました。その時の喜びの笑顔が忘れられない」と、看護師としてのやりがいを話します。
夫の父親が急死したのを機に夫の実家のある福島市に移り住み、26年になります。
東京電力福島第1原発事故から3年。「これでもか、これでもかと苦しめられ、地獄のような3年間だった」と言います。
大地震で自宅が半壊。避難所の体育館には10日間いました。
自宅を解体。アパートに移り住むためには家族同様の犬の「夏ちゃん」と猫の「ゆう」、「らま」ちゃんと別れざるをえませんでした。狭いアパート暮らしは親子関係をギクシャクさせました。普通とは違った暮らしを強いられてリウマチが悪化し、車の運転が不可能になりました。「震災と原発事故さえなかったならばこんなに不幸な状況にはならなかった」という思いを強くしています。
「増税は理不尽」
「現在の主な収入は年金です。消費税の増税は大打撃です。食費を切り詰めるほかないです。仮設で暮らす人たちのことを考えるとこれほど理不尽なことはありません」
収束宣言、原発再稼働と輸出。福島の苦悩を逆なでし続ける安倍首相の暴走。「絶対に許さない。原発即時ゼロ、増税反対は被災地福島の願いです」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年5月19日より転載)