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テレビ60年 安全神話と告発と・・原発導入と重なる歴史

東京電力福島第1原発で起きた過酷事故。ニュースを中心にテレビは政府や東電の発表を流し続けて大きな批判をうけました。一方で、少なからぬドキュメンタリーや報道番組が原発の問題を正面から提起してきました。

爆発を最初に

2011年、東日本大震災が発生した翌日の3月12日午後3時36分、1号機から白い煙が上がりました。原発爆発を最初にとらえたのは、福島中央テレビのカメラでした。福島中央テレビは直後に県内ローカルでその様子を放送しました。しかし、日本テレビが全国ネットで流したのは1時間後。即座に判断して放送したローカル局に対して、東京キー局は後手に回りました。

現地へ真っ先に取材に向かったのは、NHKの「ETV特集」のチームです。放射能調査をする学者、研究者とともに現地に入りました。NHKの中でバッシングを受けながらも、「ネットワークでつくる放射能汚染地図」と題して5月
15日に放送にこぎつけました。「ETV特集」は、現在も原発への警告を発し続けています。

テレビの歴史は、原発導入の歴史と重なります。1953年2月、NHKが初めてテレビ放送を開始。続いて8月に日本テレビが開局します。戦後、アメリカは日本の民放テレビを対日心理戦に利用しようとしていました。日本テレビは55年、アメリカにならって「原子力の平和利用」キャンペーンを打ち出します。日本テレビ社長だった正力松太郎氏は、原発導入の先頭に立ちました。

56年になると、原子力委員になった正力氏がNHKのニュースにも登場し、原発の持論を展開。さらに紀行番組で原子力ヘの期待が描かれていきます。こうしたNHKの報道・番組については、「原子力50年・テレビは何を伝えてきたか」(七沢潔=NHK放送文化研究所)が詳しく論じています。

原発推進の安全神話をふりまく一方で、原発を告発する番組がつくられてきました。「NHKスペシャル」(前身は「NHK特集」)や民放地方局が参加する「NNNドキュメント」(日本系)、TBS「報道特集」などをあげることができます。原発が立地された地方民放局でも多くの妨害の中、原発の問題を指摘する勇気ある番組が作られました。

原発再稼働をねらう政府や電力会社に遠慮する放送局の自主規制。スタッフの配転など、制作現場への圧力はいまも続きます。

新たな装いで

見過ごせないのは3・11から2年のこの機に、新たな装いで原発アピール番組が出てきたことです。中でもフジテレビ「福島原発に挑んだ男達」(3月9日)は、自衛隊の活躍と原発の″冷却″を演出して見せました。フジテレビ監査役の南直哉氏は、東電の元社長。防衛省改革会議座長の経歴の持ち主です。

3・11以後の前向きな変化は、原発ゼロを願う市民がインターネットを通じて情報を発信・共有し、行動を継続していることです。その声はテレビに影響を与えてきました。これからもさらに大きくなる可能性があります。
(渡辺俊江)

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