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福島に生きる “元の牧草地に戻してほしい”・・川俣町・酪農家3代目 斎藤久さん(40)

斎藤久さん(40)は乳牛を育てる3代目の酪農家です。福島県東部に位置する阿武隈山系の川俣町で21頭の牛を飼っています。

事故後牛次々に

2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、その年の秋までの間に5頭の牛が亡くなり、2頭は流産して廃牛になりました。

「餌が自給できなくなって栄養がゆきとどかなくなりました。そのために死亡させてしまった」と原発事故直後の混乱を語ります。

小学3年、5年、中学1年の3人の子を持つ父親です。原発事故後の3月15日から半年間、東京都練馬区の妻の実家で避難生活を送りました。乳牛は両親にお願いしました。

あれから2年が過ぎましたが、いまだに、乳牛に与える牧草は外国から買っています。

「今年の牧草が牛に与えられる数値まで下がっているか5月下旬までには計測します。30ベクレル以下なら餌として使用可能になります」

近隣から牧草を調達できない現状が続く放射能禍の深刻さを話します。

牧草地は、牛に与えることができない牧草でも毎年育てていかないと、竹やススキ、ツル性の植物に覆われてしまいます。そのため、牛に与えられないのに育てた2年分の牧草が保管してあります。

「牧草が牛に与えられるように元の牧草地に戻してほしい。牧草地の放射線量が減少しないのなら山全体をきれいにしてほしい。保管している牧草の仮置き場を確保してほしい」

順調だったが…

東京農業大学を卒業後、東京都八王子市の乗馬クラブで乗馬のインストラクターをしてきました。大学時代には競技大会で入賞することも。27歳のときに故郷に帰り畜産業を継ぐことにしました。

仕事も順調で、親牛20頭、子牛10頭まで増やしました。「すんだ空気、満天の星空。福島に帰ってきて良かった」と感じていたときの原発事故でした。

「放射線量を気にしながら生きるのは苦痛です。原発事故は2度と起こさないでほしい。自然環境に恵まれた故郷が汚されています。子どもを外で思い切り遊ばせることもできません。原発は絶対に安全などありえません」

まもなく牛の繁殖の時期です。「親から受け継いだ土地と財産を失うわけにはいきません。酪農は手をかければ自分に返ってくる仕事です。頑張っていきます」 (菅野尚夫)

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