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原発 米核戦略に従い推進・・原発㊦/日米従属経済

日本の原子力発電政策は、日本国民の意思ではなく、米国の核戦略に従う形
で推進されてきました。

1953年12月、国連総会で演説した米国のアイゼンハワー大統領は、「アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)」と訴え、原発推進を呼びかけました。米国は、核兵器開発を進めながら、原発推進も打ち出しました。

アイゼンハワー大統領の演説を受け、55年に日本は、原発の技術や燃料を導入するための原子力研究協定を米国と結びました。この協定の下で、研究のための濃縮ウランが提供されます。58年に日米原子力協定を結び、濃縮ウランに加え、米国製発電炉を導入しました。

その後、米国の技術を用いた原発を次々と建設します。さらに、燃料調達の面でも米国依存となりました。現状では、濃縮ウランの73%は米国産です。

「核独占」を強化

88年には、原子力協定が改定され、現行協定の発効に至ります。当時、日本共産党の松本善明衆院議員は、「(現行)協定が、米国の核兵器保有温存を前提として核兵器保有国の核独占体制を一層強化することを主な狙いとしている」と批判(88年5月、外務委員会)。その上で、「日本の原子力開発を米国の政策に一層深く縛りつける」と指摘しました。

米国によって導入された原子力技術は、核兵器開発と無縁ではありません。そのため、米国は、導入国の原子力政策を厳しく管理しています。

現行の日米原子力協定は、核物質の厳重管理など一定条件の下、日本が使用済み核燃料の再処理などを自由に行うことを認めています(包括同意方式)。現行協定の前は、米国から提供された濃縮ウランの形状や用途の変更などを行うたびに米国の同意が必要でした(個別同意方式)。個別同意から、現行の包括同意へ変更した狙いは、使用済み核燃料の再処理といった、核燃料サイクル政策の推進のためでした。

一方、包括同意は「停止」される可能性もあります。協定には、「核拡散の危険」や「国家安全保障に対する脅威の著しい増大」を理由に、米国が一方的に包括同意の「全部又は一部を停止することができる」と明記しています。

電力会社をはじめ、原発推進勢力が固執する核燃料サイクルは「核拡散の危険」がぬぐえません。使用済み核燃料の再処理の過程では、核兵器の材料となるプルトニウムが生じるからです。

産業界が核燃サイクルヘ固執し、包括同意を強く要求したこともあり、米国
は、核物質の管理を強化する「核物質防護」の実施を条件として、日本に包括同意を与えました。

安保の原子力版

「核兵器管理と同様の手法が研究の現場に持ち込まれました。研究員は監視の下にさらされ、民主的な研究活動が侵害されました」。「核物質防護」について、こう指摘するのは日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の元研究員の市川富士夫さんです。核物質の管理強化だけでなく、原子力施設に出入りする研究員らに対して、「信頼性確認」と称する個人情報管理がなされました。さらに、監視のために警備員の配備や増員まで行われました。再処理や濃縮などに関する情報は「秘密情報」と扱われるなど、透明性すらありませんでした。

原発推進勢力が包括同意という自由を得る一方、国民の立場で基礎研究を行う科学者は自由を奪われました。

「日米安全保障条約の原子力版」。市川さんは現行協定をこう批判し、見直すよう提起しています。日米安保条約で一方的に日本に米軍基地がつくられたことと同様に、日米原子力協定によって原発が押し付けられました。

今日、大多数の国民が切望するのは「原発ゼロ」。基礎研究や廃炉実施などを担う専門家の確保・育成が求められています。しかし、政府や財界・産業界は、過酷事故の悲劇を意に介さず、米国言いなりに原発を推進する姿勢を変えていません。原発の早期再稼働を迫り、日米共同による原発輸出さえ狙っています。

日本を「原発列島」に陥れた対米従属の政治を打開することが求められています。
(おわり)(この連載は中川亮が担当しました)

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