東日本大震災、福島第1原子力発電所事故から2年が過ぎて、原子力防災に関心が集まり、原発をめぐるメディアの姿勢が問い直されています。メディア総合研究所は5月11日、都内でシンポジウム「『原子力防災』とテレビ」を開きました。
科学ジャーナリストの倉澤治雄さんをコーディネーターに、福島隆史(TBSテレビ報道局)、佐藤崇(福島中央テレビ報道制作局長)、綿井健陽(ジャーナリスト)の各氏が、災害現場取材の経験を語り合いました。
災害時、放送の役割を問う
砂川浩慶・メディア総研所長(立教大准教授)は「メディアは放送法などの法律で、災害発生を予防し被害を軽減するために役立つ放送をしなければならないとされている」と紹介。現在の被災地の状況を伝えているのはローカル局が中心で、「忘れられる恐怖・終わらない恐怖」にさいなまれている被災者と、東京との温度差があると指摘しました。
倉澤氏は、これまでは「原発は絶対安全」の神話のもとで、原子力防災が想定されていなかったとして、「次の事故は必ず起きる。放送によって人の命が守られたり守られなかったりすることがあるし、被害の大小にも影響する。メディアはそのことを考えなければいけない」と問題提起しました。
その時、現場はどう動いた
災害に直面した記者はどう動いたのか。
佐藤氏は、福島ローカル番組の当日の生々しい映像を紹介するとともに、10人の記者しかいない体制でどう対応したのかを報告。原稿を携帯電話のメールで本社に送るなど工夫しましたが、取材車のガソリンも尽き、線量計も不十分でストレスがたまり、自宅待機を余儀なくされたスタッフもいたと述べました。
綿井氏は、フリーランスの立場で原発のある双葉町に入った時に、計測器で測れないほどの放射線が漏れていたことを衛星電話で報告し、町に入ろうとする人たちに引き返すよう呼び掛けました。「一部で『不安をあおるな』などの批判もあったが、被害を最小限にするために、一刻も早く出さないと意味がない情報もあるのではないかと実感した」と振り返ります。
福島氏は、津波に襲われる原発の重大映像を見ていながら、津波被害のひとこまとしか見てなかったと述懐しました。
ジレンマ
佐藤氏は、原発の水素爆発時の映像を放送したとき、「情けないが『大きな煙が出ている』としか言えなかった。『爆発』と言えば核爆発だと誤解されるから、アナウンサ一に『言うな』と指示した」と苦悩の決断をしたと発言しました。「避難してとは言えない立場なので映像で判断してもらうしかない。限られた情報の中これしかできなかったとの思いが強い」
福島氏は、取材範囲を自主規制して避難勧告地域外にしたことについて、ジャーナリストとして忸怩(じくじ)たる思いだと述べました。
ジャーナリズムの課題は
綿井氏は「マスメディアは、会社内の縛りで現地に入れないのではないか。ジャーナリズムに携わる者は、業務命令を拒否する権利もあるのでは」と組織と個人の問題に疑問を投げかけました。
「指示を下す立場としては、組織で動くときの安全の確保が悩ましい」(佐藤)、「不安に思うスタッフにどう対応するか難しい」(福島)との声も出されました。
プロの目
「情報の一元化ではなく、多様な情報が特徴だが、事実かどうかを判断する役目を負うプロの目が必要」(綿井)、「ツイッターやフェイスブックはまだ限られた人たちのもの」(倉澤)、「テレビは停電では伝わらない。災害時は使える物は使っていい」(福島)などの論議が交わされました。
たれ流し
震災直後、政府や東電の言い分を流すだけの「大本営発表」的な報道に批判が相次ぎました。
これに対しては、メディアがお上の発表を流すだけにならないために①専門知識だけでなく情報を読み解く力②多角的、広範囲な情報収集③根拠に基づいて最悪・最善のシナリオを示す④「分からない」ものは「分からない」とする⑤情報を隠さず出す−が必要だと提起されました。